« メイプルの学習机 | トップページ | 事前学習の要否 »

2011年3月10日 (木)

アラビアのロレンス

午前十時の映画祭で、アラビアのロレンスを見てきました。

もはや、言うまでもない名作・大作ですね。
でも、私  この映画を見たのは初めてなのです。

以前からずっと見たいと思っていたのですが、なにせ、3時間を軽く超える大長編。
さらに、当時の時代背景などをそれなりに事前学習しないといけないということなどもあり、どうにも敷居が高く感じられレンタル屋さんでも逡巡するばかり。

以前はビデオを手にとって迷い・・ 最近ではDVDを手にとって迷い・・
そんなこんなで20年近くたってしまいました ^_^;

それが、今回午前十時の映画祭で、映画館でのリバイバルです。
大スクリーンで見ることができるのは、ひょっとすると生涯最後になるかもしれない・・
と思うと、矢も盾もたまらずチケットを購入したという次第です。


いや、確かに、評判に違わぬ作品であることは間違いありません。

まずは、その映像美。
圧倒的な砂漠の風景、そして、その恐ろしいまでの厳しさと、それゆえに逆作用として迫ってくる荒涼とした大地の気高さ、美しさが余すところなくスクリーンに展開されます。

もちろん、CGなどない50年ほども前の映像。
遥かに広がる砂漠をラクダの部隊が疾走するさまは、今のように鮮明なハイビジョンではないがために、逆に想像力を掻き立てられ、さらにリアリティーをもって迫ってくるようです。


時は第一次世界大戦下の中東。
イギリス将校のロレンスは、中東に居座っているオスマントルコを追い払うため、アラブ諸民族と共闘する作戦を自ら展開することになります。

理想に燃えるロレンスは、単身アラブ民族の本拠地へと乗り込み、イギリス人でありながら彼らの信望を得、アラブ解放のために陣頭にたってトルコ軍との戦いを展開します。

稀代のヒーローとも言えますが、この映画の奥深いところはロレンスを完全無欠な英雄としては描いていないことです。

これは・・意外でした。

ロレンスは、理想主義者でありつつも現実主義でもあり、慈悲深く博愛主義のように感じられる反面、必要とあれば人も殺め、かつ、それに快感を感じるという背反した複雑な性格の持ち主として描かれます。

人殺しを後悔し、任務の解除を上官に訴え出るという敵前逃亡的な言動をしたかと思うと、次の場面では目的のためにならず者を金で雇ったり、不必要な虐殺事件を引き起こしたりもします。

つまり、一人の性格の中に極端な善と悪、強靭と繊細が同居しており、これらがバイオリズムのように上下に振れてしまうのですが、ロレンスが戦闘部隊の指揮者であるがために、その振れが部隊から果ては国家の戦略までも左右するほどの影響力となってメディアを通じて世界中に配信されることとなるのです。

それは、イギリスにとっても、アラブにとっても、それらを支配する上層部にとっては面白いことではなく、また、オスマントルコを駆逐した後の事となっては、戦いの実践者であるロレンスはもはや邪魔な存在になりつつありました。

時は戦争から、戦争終結後の権益確保に対する狡猾な駆け引きに移っていたのです。


解任されたロレンスは、失意のうちにアラビアを去る  という場面で映画は終わります。

Arabia

見終わって・・
これが名作と言われていることが少し分かったような気がします。

と言うのも、正直なところ、この映画はあと数回ほど見なければその真意は理解出来ないように思うからです。

この映画は、小さな伏線がいっぱい張り巡らされているのですが、一回見ただけではその伏線が一体何を意味するのか分からないところも多々あり、これが未消化の原因ともなっています。

完全には分からないけれど、なぜか惹きつけられる。
半年後くらいにDVDを借りて、さらに細かく見てみたいと思わせる映画です。

見るほどに新しい発見と感動が見つかるように思いますし、おそらくは50年前に見た人たちもそのような印象を持ったのではないかなぁ?

未消化を残したまま、また見たいと思う映画。
圧倒的な砂漠を背景とした、壮大なミステリー  それが稀代の名作との評判を確固なものにしたのではないか・・


そのように感じた映画でした。

|

« メイプルの学習机 | トップページ | 事前学習の要否 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« メイプルの学習机 | トップページ | 事前学習の要否 »