2009年10月17日 (土)

あの素晴らしい愛をもう一度

パリーグ、クライマックスシリーズをラジオで聞きながら仕事。

負けた。
あ~あ。

まあ、仕方ない。
これが今のホークスの実力だ。


でも、ちょっと寂しいな~ と思いにふけっていたらラジオから驚愕の速報。

加藤和彦 自殺。


えっ???

一瞬、目の前の風景から色がなくなった。


加藤和彦。
いうまでもなく、フォークの黎明期を作った始祖。
フォーククルセイダーズ。

「帰ってきたヨッパライ」がヒットしたのは私が幼稚園の頃。
なので、フォークルは私にとってはリアルタイムではない。

だが、彼らが残した楽曲は、小中学校を通して数多く耳にし、その当時の思い出と共に記憶に染み付いている。

特に、中学校の音楽の授業で合唱の練習曲となった「あの素晴らしい愛をもう一度」は、私にとって永遠のエバーグリーンだ。

カラオケに行くと、必ず歌う曲でもある。


自殺。
一体、加藤氏の心にどのような闇があったのだろう?

今はただ驚くばかり、混乱するばかり。


動画を見ながら、涙腺が緩んでくるのをとめられない。

合掌。

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2009年7月26日 (日)

冬の稲妻

アリスが再結成し、全国ツアーをやるらしい。

アリス・・
いや、懐かしいね~

アリス全盛期は、私が中学から高校へかけてのこと。
一番多感な時期に、数々の名曲をリアルタイムで聴くことができたのは幸せだった。

文化祭では、アリスのコピーバンドなども登場して、なかなか賑やかだったね。
同じとき、洋楽ではビリージョエルが席巻しており、また日本の歌謡曲やニューミュージックも盛んで、和洋取り混ぜまさに百花繚乱状態、いい時代であったのだ。


アリスの名曲は数あるが、冬の稲妻をご紹介。
この曲が、アリスの人気を高く打ち上げ不動のものとした。

詩、曲に関しては、谷村新司、堀内孝雄という才能が輝きを放ったが、ワタクシは密かに矢沢透のファンだった。

彼のドラムは、今聴いてもとても新鮮に聞こえる。
地道にテンポを刻み、曲をサポートする縁の下の力持ちであるが、節の変わり目に入るフィルインでのキラリと光るセンスはしびれるね~


冬の稲妻では、なんと言っても曲の冒頭!
ティンバレスのプロローグからはじまり、片面タムから流れるように打ち出される子気味良いフィルはいつ聞いてもしびれるlovely
(ドラムに関心のない方、チンプンカンプンで失礼)


映像は2001年に再結成した時のものらしい。
ドラムの矢沢氏へも注目してみてくれると嬉しいな。


ちなみに、こちらは冬の稲妻ならぬ、梅雨の稲妻。
しゃれになんねぇ~

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2009年7月 5日 (日)

雨の物語

ようやく湿度が下がった。
この数日、雨模様もおさまり、ようやく湿度も低下傾向。

明日は?
微妙なところで、曇りかも? 雨かも?

ならば、板剥ぎをするタイミングとしては今だけかも。

ということで、せっせと板剥ぎ。
この時期はいろいろと大変なのだ。


さて、梅雨も中盤を迎えたところで、今日も雨の昭和歌謡をご紹介。
昭和歌謡・・・と言うよりは、フォークだが・・・

フォークも語り始めると際限がなくなりそう・・

個人的に、最も好きで良く聴いたのは「かぐや姫」
私が夢中になったときはすでに解散をしてしまった後だった。
それでも、フォークギターのスリーフィンガーなど、採譜された楽譜を見ながら必死に練習したりした。

どうしてもフォークギターが欲しくて、新聞配達のアルバイトをして念願のYAMAHAのギターを買ったのも懐かしい思い出。
夜遅くまで練習をして、親父から怒られたもんだ。

話を戻して・・
かぐや姫。

かぐや姫ファンの中でも、南こうせつ派と、伊勢正三派に分かれていたのが面白い。
こうせつは、どちらかというと生活臭のする四畳半フォークのようなイメージが強く、正やんはその後のニューミュージックの走りとなるようなポップでスタイリッシュな雰囲気があった。

ワタクシは、どちらかというと正やん派。
かぐや姫解散後は、正やんの新たなグループである「風」が私のアイドルとなった。

さて、雨の歌と言うことで、これ・・
「雨の物語」

これは、イルカがカバーして有名になった。

イルカと言えば、その当時のラジオ番組で息子が生まれたことが発表され、それをリアルタイムで聞いて感激したもんだ。
それが・・
いまや、孫がいるおばあちゃんになってしまった。

時は流れて・・ はやウン十年。
早いものだね~

雨の物語・・
正やんの作詞作曲。

曲の美しさもさることながら、歌詞も秀逸。
「化粧をする君の、その背中がとっても小さく見えて仕方ないから、僕はまだ君を愛しているんだろう ♪」

こんな歌詞・・誰が書けるだろう?
当時の空気を一杯吸い込んで、そのせつなさを美しいメロディーに載せて届けてくれた。

風の発表した5枚のアルバムは、今でも私の大事な宝物だ。

雨の物語。
イルカの歌でどうぞ♪

それにしても・・・
イルカ・・・

世界一オーバーオールの似合うおばあちゃんだろう・・

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2009年6月29日 (月)

雨音はショパンの調べ

梅雨も本格化し、毎日じめじめ・・
どうも、じめじめしているだけで体に悪そうだ。

疲れも倍増するような気がする、

工程はもつれたまま、解けそうもない。
う~ん、もう、開き直り(困ったなぁ)

こんなときは、せめて歌でも聞いて爽やかになろう。

雨の歌・・・ということで、コレ。

小林麻美「雨音はショパンの調べ」

原曲はガゼボの「I like Chopin」
これに、ユーミンが和詩をつけ、小林麻美が歌った。

声といい、雰囲気といい、ぴったりの選曲、人選だったよなぁ。

カラオケに行くと、歌の上手な女の子に歌ってもらっていた。
遠い記憶・・シンセドラムの音が時代を感じさせる。

ちなみに、原曲のガゼボ。

よ~分からん PVじゃね。 これ

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2009年6月16日 (火)

三木たかし

故三木たかしの追悼番組を見た。
NHKホールでの生放送。

演歌がいいなと思い始めたのはいつの頃だったかな?

そもそも、世代的には昭和歌謡にどっぷり浸かり、その後フォーク、ニューミュージック。
さらにビートルズ第2世代と呼ばれ、その後70年代以降に黒船のように押し寄せた洋楽の洗礼も浴びた。

そして、自分で楽器をやり始めてからはジャズやフュージョンなどのコアな世界にも入った。

どこを辿っても、演歌との接点はない。


果たして、いつ頃から演歌が入り込んできたのかな?

入社して社会人となり、夜の付き合いが増えた。
お決まりのカラオケでは、上司の歌にももちろん笑顔で付き合わねばならない。
(大人の事情)

その頃に聞いたテレサテンの曲。
おじさんの歌うだみ声の演歌でも、その詩とメロディーには惹き付けられるものがあった。

荒木とよひさ、三木たかしコンビの、テレサテンの一連の曲は、演歌のカテゴリーを越えて皮膚にしみこんでくるような、ぞくっとする感動があったなぁ。

やはり、日本人のDNAには、演歌に感応する受信機が組み込まれているのだろうか?


三木たかしの名曲は数あれど、個人的に最も好きな曲である「つぐない (テレサテン)」をご紹介。
テレサテンも、その人生はドラマチックだったが、それはまたいずれ・・



次回のカラオケは、テレサテンを歌いまくろう。
(もはや、典型的なおっさんです)

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2009年5月31日 (日)

木綿のハンカチーフ

久しぶりの昭和歌謡ネタ。

太田裕美 「木綿のハンカチーフ」
最初に聞いたのは、おそらく小学生の頃だったような・・

メロディーの美しさもさることながら、その歌詞に魅了されてしまった。
小学生なのに・・ですぜ。

別段早熟だったわけでもないと思うが、その悲しい物語は訴えかけてくるものがあったねぇ。
メロディーが明るくポップなだけに、よりその悲しさがしみじみと感じられる。
あるいは、その悲しさがメロディーのリズムで程よく中和され、きわどいところで堪えているような・・

おそらくは、聞く人のおかれた立場によって、その感じ方も様々になるのだろう。

思い返せば、流行歌、歌謡曲なるものについて、初めてその歌詞の力を感じた曲でもあった。
それ以前も、例えばちあきなおみの「喝采」や、由紀さおりの「手紙」など、そのメロディーに魅了された曲はたくさんあったが、歌詞は良く分からん。

だって、小学低学年くらいだもの・・
「届いた~手紙は~ 黒い縁取りがありました♪」
・・なんて、さっぱり意味不明だったのよ。

そんな時、太田裕美。
その美貌とちょっと鼻が詰まったような声。
決して上手とは思わなかったが、何か惹かれるものがあったね。

さて、木綿のハンカチーフ
作詞は松本隆。
作曲は筒美京平。

ゴールデンコンビ。

小学生のときに聴いた曲。
その後、時が過ぎて高校卒業後、この歌詞と同じような経験をした同級生が何人かいた。

私は??
残念ながら、そんなロマンスとは皆無 _| ̄|○

大学は工学部で男ばかり _| ̄|○


まあ、人生そんなもんだね。

それにしても、太田裕美。
その魅力はいささかも衰えていない。


余談ながら・・
同時期に岡田奈々という女優がいた。

Pnol039


小学生の悪がき軍団の中で、太田裕美派と、岡田奈々派の派閥ができていたのが懐かしい思い出。

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2009年2月22日 (日)

飛んでイスタンブール

先日、お客様からトルコ旅行の土産話をお聞きした。
トルコ・・ 一度は行きたい国だ。

歴史を辿ると、この土地は様々な文化が通り過ぎていった。
そして、トルコの都市イスタンブールは、その時々によって呼び名が変ることとなる。

その昔、ギリシャ文明が支配していたときにはビザンティオンと呼ばれ・・
その後、ローマ帝国の時代には首都となり、時の皇帝にちなんでコンスタンチノープルと称された。

ローマ帝国分裂後は、東ローマ帝国として長らく繁栄することとなるが、その後オスマントルコに飲み込まれることとなる。
そして、今の呼称である、イスタンブールという名前となった。

このあたり、高校時代に世界史の授業で叩き込まれた。
何年にどこが支配し、何年に名前が変わって・・ええと、東ローマ帝国が滅んだのは1453年だったかいな?
などと、無味乾燥な年代を暗記したものだ。

しかし、幸運だったのは、その世界史の先生がとても熱心だったこと。
この数奇な運命を辿った土地は、古代より東と西の文明が織り成す交差点となり、それが独特の風景を生むこととなったのだ・・と、熱く語っていたのが印象的だった。

タイミング良いことに、庄野真代の「飛んでイスタンブール」が発表されたのは世界史の授業真っ只中のことだった。

いつか忘れていった、こんなジタンの空箱~♪

ジタンって何??
どうやらタバコのことらしい。

そのエキゾチックな名前と共に、この不思議な哀愁のある旋律が深く記憶に染み付いている。

ともあれ、ジタンという名前は私の中でトルコの象徴となり、その名前と共に、イスタンブールはいつか訪ねてみたい憧れの土地となっている。


その後・・
大学時代、喫煙をしていた頃にジタンを吸う機会があった。
味は? ほとんど印象に残ってないが、煙と共に過剰なジタンへの憧れは霧消してしまった。
やはり、憧れは憧れのままにしていた方が良いのかもしれない。

余談ながら・・
木工をするために会社を辞めようと考えていた頃、タイミングの良い(悪い)ことに、イスタンブール~ヨーロッパへの出張話が持ち上がった。

だが、木工への夢は絶ち難く、断腸の思いで出張を固辞し、退社した。
以来、私の中でイスタンブールへの憧れはますます強いものとなっている。

いつか、必ず行ってやるのだ。
そして、数十年の禁煙を破り、ジタンの一本を灰にしてみるのも良いかな?

作曲、筒見京平。
さすが、昭和のヒットメーカー。


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2009年2月 4日 (水)

いちご白書をもう一度

今月、地元のラジオ局はフォークソング特集だ。
懐かしい曲がたくさん流れてくる♪

先日、そのラジオ番組の中で”ばんばひろふみ”へのインタビューが流れていた。

ばんばひろふみと言えば、やはり「SACHIKO」が一番有名だろうね。
もう一つ、「手紙」という隠れた名曲もあるが・・・

さて、ばんばひろふみのこと・・
その昔、バンバンというフォークデュオを組んでいた。

ばんばひろふみと、高山厳の二人組。
高山厳の「心凍らせて」という曲がヒットしたのは、もう10年以上前になるかな?


話を戻して・・
バンバンのヒット曲といえば・・「いちご白書をもう一度」
ご存知ですよね。

特に、団塊の世代の方は思い入れの強い曲ではないだろうか?
学生運動の時代、それが過去のことになってしまった。
その寂寥感、モラトリアムを過ぎて社会人になっていく時の漠とした閉塞感のようなもの、そんな空気感を持った曲だ。

などともっともらしいことを言っているが・・
ワタクシはもちろんその世代ではない。

この曲が発表された昭和50年。
私は小学生。

なので、もちろん学生運動などに思想的には何の影響も受けていないが、その当時の空気はおぼろげながらに覚えている。

高度成長と大量消費の快楽が日本中を席巻していった時代だ。
進歩的といわれた思想は、経済成長の前にはやがて消え去る運命だったのかも?

しかし、時を経て、今の状態を改めて考えると複雑な思いに囚われてしまう。
・・・

ばんばひろふみへのインタビューに話を戻そう。
この、「いちご白書をもう一度」は、荒井由実の作詞作曲であることはご存知の通り。

当時まだ無名だった荒井由実の才能をいち早く認めたのがばんばひろふみだった。
そして、ばんばが荒井のもとへ行き、曲を依頼したとのこと。

やはり、名曲の誕生はドラマチックだねぇ。

ところで、曲のタイトルにもなっている映画「いちご白書」は、まだ見た事がないのだ。

今度、レンタル屋で探してみよう。

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2008年12月14日 (日)

時の過ぎゆくままに

古い曲だ。

沢田研二 「時の過ぎ行くままに」
作詞は、あの阿久悠。

最近になって、阿久悠の素晴らしさがしみじみと分かってきたように思う。

ちょっと前のこと・・・
テレビの追悼番組で、阿久悠のインタビューを流していた。

氏 曰く 
自分の中には終戦後に見た映画の名場面があふれている・・
その記憶の中から、ハードボイルドの場面では「勝手にしやがれ」などが生まれ、SFの気分では「UFO」が出てくる。

う~む、なるほど!

私も、ずいぶんと映画を見てきた。
どれがベストか? とは大変難しいが、やはり「カサブランカ」はベスト5には入るように思う。

最初に観たのは十代の頃・・
ボギー(役名リック)をみて、なんと女々しい男だろう・・なんて思った。

次に観たのは、確か二十代前半だったように思う。
ちょっと印象が変った・・感情移入できるようになった。
(ちなみに、漱石の「三四郎」が面白いと思ったのもこの頃)

男の中に潜む、ウジウジした部分をありのままに認めることができるようになったのもこの頃かも?
ダンディズムとは、それを認めつつ、カラ元気を張ることかもしれない?

そして、三十才ちょっと前。
間違いなくはまった!
この映画が、どうして名作と言われ、どうしてここまで人を惹きつけているのか?
それが、肌感覚で分かった。

「時の過ぎ行くままに」 As time goes by♪

あの当時から時は流れ、はやウン十年。
名作、そして名曲は今も色褪せない。

いや、歳を重ねるにつれ、その輝きはより増すばかりだ。

沢田研二、そして、ハンフリーボガード。
アンタの時代は良かった~♪ かな?


もひとつ  As time goes by
Play it again Sam.
イングリッド バーグマン  美しすぎる♪


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2008年12月 8日 (月)

さよならの向う側

昭和歌謡を語るときに、絶対に欠かすことのできないスター。

山口百恵

これは、誰しも異論がないところだろう。
アイドル、と言うよりはスターと言う言葉がぴったり。

スター誕生から生まれた。
しかし、そのスター誕生で、作詞家の阿久悠からは酷評されたらしい。

それ以来の確執なのか?
スター誕生出身であるにもかかわらず、阿久悠が山口百恵の作詞を手がけることはついになかった。

クールビューティーとでも言おうか?
常に冷静で、どこかに影を感じる表情は、彼女の決して幸福ではなかった生い立ちとあいまって独特の雰囲気を醸し出していた。

ちょっと前のこと・・
本屋で雑誌を立ち読みしていたら、当時の彼女へのインタビューが再掲載されていた。
引退前、20歳の彼女の言葉だ。

絶句。

この歳にして、その恐ろしいほどの自己分析と、哲学的とも言えるどこか達観したような言葉が出てくるとは驚嘆する他はない。

翻って・・
最近の芸能界、
そして、20歳前後のタレント達は・・

いや、何も言うまい。
むなしさがつのるだけ。


しみじみ思う。
山口百恵が活躍していた時代を共有できたのは幸せだった。

昭和の大スター、山口百恵。
しかし、意外なことにオリコントップを取ることはあまりなかった。

その理由は?
そう、ピンクレディーの存在。
そして、それをプロデュースしたのは、阿久悠。

ショービジネスの厳しさ、そしてそれを取り巻く人間模様。
興味は尽きない。


ご紹介の曲は?
名曲は数あるが、彼女の最後の曲「さよならの向う側」にしよう。

当時の20歳は、これほどに大人で、これほどに洗練されていた。
驚嘆すべき。


いや、しみじみ聞き返すと、やはり素晴らしいね。
今度、ベストアルバムでも買いに行こうっと。


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2008年11月18日 (火)

よろしく哀愁

昨日の続き・・・

長い前フリで、しかもその前フリがあらぬ方向へ行ってしまった(反省)

さて、今日は昭和歌謡のご紹介。
男は男らしく・・と言う価値観がまだ生きていた時代、郷ひろみのデビューは衝撃的だった。

「男の子女の子」

君たち女の子 ゴーゴー ・・

なんじゃ、そりゃ(怒)

同時代の西城秀樹や野口五郎については、長髪がいかがなものか? と言う感じはあったが、歌そのものは男っぽい。
だが、郷ひろみは、容貌はもちろん、歌についてもちょっとどうなのよ? と言いたくなる感じ。

小学生ながら、相当の違和感があったものだ。

だが・・
男達のなんじゃこいつ的視線をよそに、女の子達の圧倒的人気をかっさらってしまった。
それが、なんともいえぬ妙な嫉妬感のようなものを刺激して、画面で見るたびやりきれない思いになったりした。

小学生なのにねぇ~

亜流も現れた・・
城みちる だの あいざき信也 だの・・
今後の日本はどうなるのだ? と、世を憂う小学生男子も多かったのだ。

さて、衝撃的なデビューも少し落ち着き、このようなフェミニンな男の子も社会的認知を受けてきた頃、この曲が発表された。

「よろしく哀愁」

名曲だ!
子供ながらに思った。

物悲しいメロディーが、哀愁と言うタイトルにぴったりだ。
さすが、筒美京平。

「逢えない時間が、愛育てるのさ♪」
と言う歌詞にはぐっときた(マセガキ?)

以降、郷ひろみに対する認識が変わったのは言うまでもない。
そして今・・ なんと素敵な歳のとり方をしているのだろう。

さて、当時の音源をご紹介。
これはレコードジャケットの写真だろう。
美少年とは彼のためにあったような言葉だね。

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2008年11月 6日 (木)

微笑がえし

キャンディーズは、小学校~中学校のときリアルタイムで聴いた。
年下の男の子、春一番、哀愁のシンフォニー など、名曲は数知れず。

三人の個性がまた魅力だった。

歌も良かったが、私の記憶として彼女らの魅力を決定付けたのはバラエティーだったなぁ。
「みごろ、たべごろ、笑いごろ」  さて、覚えてらっしゃいますか?

今思い返しても、そのナンセンスさは特筆すべきものがある。
伊東四郎、小松政夫・・・

ベンジャミン伊東と電線軍団の「電線音頭」
小松政夫の「しらけ鳥の歌」


まあ、とにかく衝撃的なお笑い番組で、なぜかそれにキャンディーズが出演していた。

バラエティーをこなすアイドル。
当時は、画期的な路線だったような・・・

「世界のキャンディーズになるまで、涙は禁物よ!」

そんなこんなで、人気絶頂のとき。
「普通の女の子に戻りたい」の名台詞で引退したのはご承知の通り。

でも、その通りになったのはミキちゃんだけだったが・・・

引退宣言をしてからは人気はうなぎのぼり。
しかし、それでもあのピンクレディーには勝つことができなかった。

その中で、わずかにベストワンになった曲。
最後の曲 「微笑返し」

阿木耀子 作詞。
歌詞の中に、それまで歌ってきた様々な曲のタイトルがちりばめられているのが話題になったね。

私が中学を卒業するときが、微笑返しに重なる。
今でも聞き返すたび、決して愉快ではなかった中学時代を思い出し、ちょっと切ないような複雑な気分になったりする。


さて、皆さんはどのような思いで聴くことでしょうか?


もひとつ、おまけ♪

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2008年10月26日 (日)

ミカンが実る頃

かなりマニアックな選曲かもしれない。

歌のうまさには、いろいろな指標があるだろう。
今まで聴いてきた歌で、高音の響きが最も印象的だった歌手。


藍美代子。

さて、皆さんは覚えてらっしゃるでしょうか???

「ミカンが実る頃」


我が家は、毎年夏に四国へ出かけるのが恒例だ。
大分の佐賀関から、愛媛の三崎へ渡る。

三崎から佐多岬を走ると八幡浜だ。
そして、宇和島へ南下する。

そう、このあたりはミカン畑が続く。
美しい海岸線には眼を見張るばかり。

その海岸から、急峻に山が立ち上がる。
山の斜面は一面のミカン畑。
収穫のための小さなモノレールがあちこちについている。

ミカン畑の下、海岸沿いには漁村が点在。
そして、その村々から海の沖合いを見ると、小船や小島が点在している。
空は青く、空気は澄んでいる。
海はどこまでも透明だ。

そのような風景を見るたび、思い出す歌が二つある。

一つは「みかんの花咲く丘」

みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船がとおく 霞(かす)んでる♪


そして、もう一つがこれ「ミカンが実る頃」

藍美代子。
そう、小柳ルミ子の妹と言うキャッチフレーズだった。

歌のうまさ、高音の素晴らしさは特筆すべきものだ。
と、今でも思っている。

ミカンの清冽・・それを思わせる歌声。


だが・・・
その後、ほとんどヒット曲に恵まれることはなかった。
才能が埋もれてしまった(残念)



なんと、映像があった。
かなりマニアックな選曲。 果たして皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか?

パートシュクレさん・・いかがでしょうか???


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2008年10月19日 (日)

色づく街

アイドルと言う言葉が使われ始めたのはいつの頃だったろう?
なんて思っていたら、先日テレビの番組で解答を見つけた。

どうやら、故阿久悠氏が作った言葉らしい。

テレビ番組、スター誕生と同期する。

なるほど・・・
そう言えば、それ以前はアイドルではなく、スターと呼んでいたような気がするな~

スターとアイドルの境界線。
おそらく、昭和45年前後だと思うが、その時に一世を風靡したスター(アイドル)がいる。

南沙織。

沖縄出身。
デビューのときは、まだ本土返還前の沖縄。
戦後が続いていた時代だったんだね。

沖縄の本土返還は、当時小学生だった自分にも印象深い出来事だった。
当時、戦争の背景も、それがもたらした余波も知らず・・
沖縄と言われても、それがどのような歴史的、政治的背景を持っているのか?

そのようなこと、考えることもなかった。
もちろん、学校で教えられることもなかった(問題だね~)

沖縄が返還される。
それが繰り返しテレビで放映され、背景を知らぬ小学生にも、それが相当に重要なイベントなのだと言うことは感じられた。

そのような時代。
南沙織がデビューした。

とっても衝撃的だったのを覚えている。

同時期に人気があったのは、天地真理、小柳ルミ子。

でも、南沙織はどこか違っていた。
うまく説明はできないのだが、その透明な存在感は、ちょっとエキゾチックな美貌とあいまって、とても新鮮な印象で記憶に固定されている。

歌も良かったね~

17歳、純潔 などなど・・
個人的には、尾崎亜美作の「春の予感」がベストだが・・

この季節柄、これをご紹介!
色づく街



引退は早く、その後、写真家の篠山紀信と結婚(なんで~?)
引退後は、ほとんどマスコミには登場していない。

今は、もう50歳を過ぎたか?

いや、無粋なことはやめておこう。
永遠のスター(アイドル?)なのだ。

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2008年10月11日 (土)

初恋

聴くたびにせつなくなる曲がある。

村下孝蔵の「初恋」もその一つだ。


初恋なんていつの頃だったろう??
もう、はるか彼方・・ 記憶の境界線にぼやけてしまっている。

でも、確かにあったはずなのだ。
そう、誰にでも必ず訪れる一大イベントでもある。

この曲がリリースされた時には、私にとってそのイベントはもう過去のことだった。

でも、村下孝蔵独特の美しい歌声と、物悲しいメロディー・・そして、歌詞に惹かれた。


放課後の校庭を走る君がいた・・
遠くで僕は、いつでも、君を探してた・・♪

なんて経験はないのだけど、でも、どこかで必ずそのような風景を見た覚えがある。
そのような気になる歌だ。

時間と共に、風景は遠ざかる。
しかし、この歌を耳にすると、その記憶がどこからか染み出してきて、あたりを染める。

村下孝蔵氏は、残念ながら病で夭逝してしまった。
存命ならば、この時代にどのような歌を届けてくれたろう?

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2008年10月 5日 (日)

スウィートメモリーズ

CMとタイアップしてヒットとなる・・
そんな音楽のビジネスモデルが登場したのはいつの頃だったろう?

前回ご紹介した「異邦人」なんかもその類だったね。

CMタイアップソングも星の数ほどあるだろうが、衝撃的だった曲はやはり限られている。
今日ご紹介するこの曲は、その数少ないなかの一つだ。

松田聖子 「スウィートメモリーズ」

サントリー、缶ビールのCM。
ペンギンのキャラクターが良い雰囲気を醸し出していた。

当時のこと・・
ビール業界は、キリンが圧倒的に強く、ラガーがまだ生でない時代だった。

私は大学生。
飲み会では特に断らない限り、キリンビールが出ていたように思う。

缶ビールを買いに行っても、なんとなくキリンラガーを買っていた。
サントリーは、やはりウィスキーのイメージが強く、アサヒは???ていう感じ。
サッポロは、時々生の黒ラベルを買ったりするような按配。

ともあれ、サントリーのビールを飲むことはほとんど無かった。

ところが・・
あの衝撃的なCM。

ペンギンの憂う表情、そして、スタンダードの名曲のような素晴らしいメロディー。

一体、この曲は何だ?
と、思った。

画面の隅に、唄「松田聖子」とクレジットが出ていて、さらにびっくりした覚えがある。

ピアノの旋律と、物悲しい歌声。
松田聖子は性格的にあまり好きな歌手ではなかったが、エンターテーメントと性格は必ずしも比例しないな~ なんて思ったものだった。

そして、ビールを買うとき、サントリーの生を買うことが増えたのだった。
(単なるミーハー??)


余談ながら・・・
その後、アサヒがスーパードライを投入することで、ビール業界の勢力図は塗りかえられていく。

さらにどうでもよいことながら・・
アタクシは、キリンのクラシックラガーと、サントリーのプレミアムモルツが好きだ♪

でも、最近は発泡酒ばかりで、ちょっと寂しい。


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2008年9月28日 (日)

恋人も濡れる街角

カラオケが登場したのはいつの頃だったろう?
思い返せば、高校を卒業したときにはすでにあったような気がする。

卒業式が終わり、先生の家に同級生と押しかけた。
その二次会でスナックに行った。

初めて、水割りなるものを飲んだ。
18歳のとき・・ もう時効だね。

全然美味しくなかったが、これが大人の世界なのか?
と、少々興奮したことを覚えている。

その時、初めてカラオケを歌った。
今のように、通信で、画像が出て、歌詞が出て・・なんてもんじゃないよ。

8トラックというものをご存知だろうか?
カセットテープの親玉のようなもので、これを専用の機械にガシャッとセットする。
すると、スピーカーからチープな音楽が流れてくるのだ。

歌詞は、手元にある歌詞カードを見て歌う。
クリアファイルに収められた、手作り感漂う歌詞が場末の雰囲気を醸し出していた。

時は流れて・・
新入社員の頃・・

職場のコミュニケーションは、やはりスナックのカラオケだった。
すでにレーザーカラオケが登場しており、画面を見ながら熱唱したのだ。

が・・
ここに世代間ギャップが登場する。

無礼講とは言え、上司とのコミュニケーションの舞台だ。
手前勝手に歌えば良いってモノじゃない。

部長、課長にもうけるような・・・
場を盛り上げられるような・・
そして、自分も歌って楽しいような・・・

そんな歌を見つけるのが大変だった。


さて、そのような時に便利だった逸品。

中村雅俊 「恋人も濡れる街角」

作曲は、ご存知桑田佳祐。

「不思議な恋は、女の姿をして、今夜あたり訪れるさ~♪」
しぶいね~

こちらは、桑田本人によるバージョン。
さすが!!


YOKOHAMAの馬車道 そのスナックで絶唱したのも良い思い出!

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2008年9月23日 (火)

異邦人

さて、昭和歌謡のこと。

ザ・ベストテンが隆盛期だった頃が、昭和歌謡の全盛期ではなかったかと勝手に定義づけているのだが、ちょうどその頃は私が中学~高校生だった時代でもある。
一番多感な時期が昭和歌謡の絶頂期と重なったこと、今となっては感謝している。

当時の歌なら何でも歌えるし、それと共に、その頃を鮮明に思い出す。
これ、社会人になってからは、いろいろな人との交流にかなり役に立った。
なんせ、一緒にカラオケすれば、もう、一気に意気投合ですよ。


さて、今日のご紹介は・・

久保田早紀の「異邦人」

これは、確か、コマーシャルソングだったように記憶している。
テレビのCMだったけな?
そのテレビの名前はさっぱり覚えていないが、この曲はこれをきっかけに大ヒットを飛ばし、おそらくほとんどの人々の記憶に残ることとなったはずだ。

エキゾチックなメロディーは、とても衝撃的だった。

サブタイトルは、シルクロードのテーマ。

 子供たちが空に向かい、両手を広げ
 鳥や雲や、夢までもつかもうとしている♪

と始まる歌詞。

 石畳の街角を、ゆらゆらとさまよう
 祈りの声、ひづめの音、うたうようなざわめき ♪

と、つづく。

ちょうど学校で世界史を習っているころでもあった。
今と違って、ちゃんと世界史も履修したのですよ(エヘン)

教科書で、シルクロードの地図をなぞりながら、その町並みを想像したりした。

タクラマカン砂漠のオアシスだったりしたのだろうか?
何となく、宗教はイスラムあたりのような気がする。

むむむ?
アフガニスタンなどだったのかな?

ちなみに、私の昔の友人で、シルクロード貧乏旅行をした者がいる。
まだアフガニスタンにもかろうじて入国でき、あの、バーミヤンの大仏も見たらしい。

東西イデオロギーが支配的だった時代。
宗教や民族意識のマグマが、まだ地中に封印されていた頃でもあったのかもしれない。


でも、当時の高校生にとってはどうでもよいこと。
当時、ワタクシは吹奏楽部。
予餞会で演奏もしたっけな・・

さて、久保田早紀。
残念ながら、ほとんど一発屋で終る。

しかし、彼女の歌詞とメロディーは、確実に記憶にとどまり、今もはなれることがない。



余談ながら・・・
さだまさしも「異邦人 エトランゼ」という曲を書いている。
あの、カミュに影響をされたのか?

久保田の方は、あまり関係ないようだね。

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2008年9月17日 (水)

面影

大川へ・・・
友人の木工家、山根さんと一緒に。

車内での話題は、いつの間にか昭和歌謡へ。
同世代なのだ♪

ちょっと前から昭和歌謡をアップし始めて改めて考えてみると・・
あまりにも広大な海原のようだ。

さて、何をどのようにピックアップしていけば良いのか?

もちろん、レコード大賞を獲得したような王道は外せないところなのだが、でもちょっと変化球がやはり面白かったりするかな。

と言うわけで、本日は しまざき由理の「面影」

???と思った方もいることでしょうが、あのGメン'75のエンディングテーマと言えば頷いてくれることだろう。

これ、確かキーハンターの後番組として登場したように記憶している。
とにかく、カッコよかったな~

丹波哲郎、原田大二郎  そして、倉田保昭のカンフーアクション。 
夏木陽介、藤木悠のいぶし銀。
藤田美保子の魅力にも参った。

当時、中学生だったかな?

その頃は、子供は9時には寝ろ! と言われたものだった。
それが、中学校に上がって、ようやく夜更かしが解禁になった。

8時だョ全員集合が終ってからが、ちょっとした大人を感じる時間。
その時に見ていたのがGメン'75だったのだ。

大人の世界を垣間見た・・そんな番組。

そして、それをきっかけに、やがてオールナイトニッポンなどの深夜ラジオに傾倒していくようになったのだ。

ああ、再放送してくれないかな?


音質はいまいちかも?

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2008年9月 9日 (火)

戦士の休息

さて、恒例の? 昭和歌謡のご紹介。
折に触れ、ご紹介していきます。

それにしても・・
you tube すごいね(驚)

大抵の映像はアップされている。
著作権とか、どうなってんだろうね??


それはともかく・・
ご紹介の第二段は・・ 今回もちょっと変化球かも?


映画「野生の証明」から、町田義人の歌う「戦士の休息」

私の記憶が正しければ、薬師丸ひろ子のデビュー作だったはず。
映画、本、テーマ曲などをタイアップさせてがんがん宣伝を行っていた角川映画。

原作は森村誠一。
人間の証明に続く、証明シリーズの第二弾だったかな?
青春の証明なんてのもあったな。

結局、この三冊は全部読んだ。
映画も見た。
まさに、角川ビジネスモデルにまんまと乗せられたのだった。

「お父さん、怖いよ、なにか来るよ。 大勢でお父さんを殺しに来るよ」
と、CMの冒頭で薬師丸ひろ子が言う。
そして、おもむろに戦車のシーンとなり、あのテーマ曲が流れるのだ。

とにかく、CMを見ると絶対見たくなるようなうまい演出だった。
先に原作を読み、そして映画館へ行った。

ストーリーは原作とはかなり異なり、風呂敷を拡げすぎてラストが収拾つかなくなったような感じ。
・・と、記憶している。

映画のできはさておき、薬師丸ひろ子はかわいく、主演の高倉健はカッコ良すぎた。
そして、このテーマ曲は名曲で、いまだにカラオケで見つけるとつい歌ってしまう。

記憶に残っているのは40歳以上くらいの人かな~?

野生の証明 町田義人


月日は流れて・・・

薬師丸ひろ子は「三丁目の夕日」では、鈴木オートのお母さん役。
あれから何年?

今度、レンタル屋で探してみよう。

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2008年9月 6日 (土)

夜間飛行

木工とは全く関係のない話題。

先日の子供たちとの会話。
「今、どんな歌が流行っているのか全然知らない」

これ、息子の言葉だ。

「ふ~ん・・」

最近はそうなのかな?
そういえば、昔の「ザ・ベストテン」のような、圧倒的影響力のある音楽番組も無いようだし、ヒットチャートをにぎわすアーティストは日替わりのようで短命だし・・

唄は世につれ、世は唄につれ・・
古い文句で恐縮だが、この歳になるとしみじみとこの言葉の意味を感じるね。

当時の歌を聞くと、その瞬間周りの空気がタイムマシンのようにその時にタイムスリップする。
これも、歌の持っている力だろう。

息子達が大きくなったとき、その時代を連れてくる歌がなければどれほど寂しいことだろう?
ということで、昨日は急遽ミュージックステーションを家族で見たりした。

最近でもいい唄はあるんだけどね。

「いきものがかり」や、「アンジェラ・アキ」の手紙なんていいよね~♪


まあ、そんな前ふりで・・・
今から折に触れ、当時の空気を感じる懐かしの昭和歌謡をピックアップしてみよう。

同世代(40代半ば)限定。
直球・変化球織り交ぜて行きましょう。


まず、第一弾!
ちあきなおみ。

当時、ワタクシは小学校低学年。
歌詞の意味なんて全く分からず。

オヤジがしみじみ聞いていた横顔を思い出す。

ご紹介する曲は「夜間飛行」

「喝采」はあまりにも有名なので、ちょっと変化球。
飛行機に乗ることが近所の話題になった時代だ。
夜に乗る飛行機なんて、どんな雰囲気なんだろう?
と思いながら聴いていたことを思い出す。

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