2009年10月17日 (土)

あの素晴らしい愛をもう一度

パリーグ、クライマックスシリーズをラジオで聞きながら仕事。

負けた。
あ~あ。

まあ、仕方ない。
これが今のホークスの実力だ。


でも、ちょっと寂しいな~ と思いにふけっていたらラジオから驚愕の速報。

加藤和彦 自殺。


えっ???

一瞬、目の前の風景から色がなくなった。


加藤和彦。
いうまでもなく、フォークの黎明期を作った始祖。
フォーククルセイダーズ。

「帰ってきたヨッパライ」がヒットしたのは私が幼稚園の頃。
なので、フォークルは私にとってはリアルタイムではない。

だが、彼らが残した楽曲は、小中学校を通して数多く耳にし、その当時の思い出と共に記憶に染み付いている。

特に、中学校の音楽の授業で合唱の練習曲となった「あの素晴らしい愛をもう一度」は、私にとって永遠のエバーグリーンだ。

カラオケに行くと、必ず歌う曲でもある。


自殺。
一体、加藤氏の心にどのような闇があったのだろう?

今はただ驚くばかり、混乱するばかり。


動画を見ながら、涙腺が緩んでくるのをとめられない。

合掌。

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2009年7月26日 (日)

冬の稲妻

アリスが再結成し、全国ツアーをやるらしい。

アリス・・
いや、懐かしいね~

アリス全盛期は、私が中学から高校へかけてのこと。
一番多感な時期に、数々の名曲をリアルタイムで聴くことができたのは幸せだった。

文化祭では、アリスのコピーバンドなども登場して、なかなか賑やかだったね。
同じとき、洋楽ではビリージョエルが席巻しており、また日本の歌謡曲やニューミュージックも盛んで、和洋取り混ぜまさに百花繚乱状態、いい時代であったのだ。


アリスの名曲は数あるが、冬の稲妻をご紹介。
この曲が、アリスの人気を高く打ち上げ不動のものとした。

詩、曲に関しては、谷村新司、堀内孝雄という才能が輝きを放ったが、ワタクシは密かに矢沢透のファンだった。

彼のドラムは、今聴いてもとても新鮮に聞こえる。
地道にテンポを刻み、曲をサポートする縁の下の力持ちであるが、節の変わり目に入るフィルインでのキラリと光るセンスはしびれるね~


冬の稲妻では、なんと言っても曲の冒頭!
ティンバレスのプロローグからはじまり、片面タムから流れるように打ち出される子気味良いフィルはいつ聞いてもしびれるlovely
(ドラムに関心のない方、チンプンカンプンで失礼)


映像は2001年に再結成した時のものらしい。
ドラムの矢沢氏へも注目してみてくれると嬉しいな。


ちなみに、こちらは冬の稲妻ならぬ、梅雨の稲妻。
しゃれになんねぇ~

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2009年7月 5日 (日)

雨の物語

ようやく湿度が下がった。
この数日、雨模様もおさまり、ようやく湿度も低下傾向。

明日は?
微妙なところで、曇りかも? 雨かも?

ならば、板剥ぎをするタイミングとしては今だけかも。

ということで、せっせと板剥ぎ。
この時期はいろいろと大変なのだ。


さて、梅雨も中盤を迎えたところで、今日も雨の昭和歌謡をご紹介。
昭和歌謡・・・と言うよりは、フォークだが・・・

フォークも語り始めると際限がなくなりそう・・

個人的に、最も好きで良く聴いたのは「かぐや姫」
私が夢中になったときはすでに解散をしてしまった後だった。
それでも、フォークギターのスリーフィンガーなど、採譜された楽譜を見ながら必死に練習したりした。

どうしてもフォークギターが欲しくて、新聞配達のアルバイトをして念願のYAMAHAのギターを買ったのも懐かしい思い出。
夜遅くまで練習をして、親父から怒られたもんだ。

話を戻して・・
かぐや姫。

かぐや姫ファンの中でも、南こうせつ派と、伊勢正三派に分かれていたのが面白い。
こうせつは、どちらかというと生活臭のする四畳半フォークのようなイメージが強く、正やんはその後のニューミュージックの走りとなるようなポップでスタイリッシュな雰囲気があった。

ワタクシは、どちらかというと正やん派。
かぐや姫解散後は、正やんの新たなグループである「風」が私のアイドルとなった。

さて、雨の歌と言うことで、これ・・
「雨の物語」

これは、イルカがカバーして有名になった。

イルカと言えば、その当時のラジオ番組で息子が生まれたことが発表され、それをリアルタイムで聞いて感激したもんだ。
それが・・
いまや、孫がいるおばあちゃんになってしまった。

時は流れて・・ はやウン十年。
早いものだね~

雨の物語・・
正やんの作詞作曲。

曲の美しさもさることながら、歌詞も秀逸。
「化粧をする君の、その背中がとっても小さく見えて仕方ないから、僕はまだ君を愛しているんだろう ♪」

こんな歌詞・・誰が書けるだろう?
当時の空気を一杯吸い込んで、そのせつなさを美しいメロディーに載せて届けてくれた。

風の発表した5枚のアルバムは、今でも私の大事な宝物だ。

雨の物語。
イルカの歌でどうぞ♪

それにしても・・・
イルカ・・・

世界一オーバーオールの似合うおばあちゃんだろう・・

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2009年6月29日 (月)

雨音はショパンの調べ

梅雨も本格化し、毎日じめじめ・・
どうも、じめじめしているだけで体に悪そうだ。

疲れも倍増するような気がする、

工程はもつれたまま、解けそうもない。
う~ん、もう、開き直り(困ったなぁ)

こんなときは、せめて歌でも聞いて爽やかになろう。

雨の歌・・・ということで、コレ。

小林麻美「雨音はショパンの調べ」

原曲はガゼボの「I like Chopin」
これに、ユーミンが和詩をつけ、小林麻美が歌った。

声といい、雰囲気といい、ぴったりの選曲、人選だったよなぁ。

カラオケに行くと、歌の上手な女の子に歌ってもらっていた。
遠い記憶・・シンセドラムの音が時代を感じさせる。

ちなみに、原曲のガゼボ。

よ~分からん PVじゃね。 これ

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2009年6月16日 (火)

三木たかし

故三木たかしの追悼番組を見た。
NHKホールでの生放送。

演歌がいいなと思い始めたのはいつの頃だったかな?

そもそも、世代的には昭和歌謡にどっぷり浸かり、その後フォーク、ニューミュージック。
さらにビートルズ第2世代と呼ばれ、その後70年代以降に黒船のように押し寄せた洋楽の洗礼も浴びた。

そして、自分で楽器をやり始めてからはジャズやフュージョンなどのコアな世界にも入った。

どこを辿っても、演歌との接点はない。


果たして、いつ頃から演歌が入り込んできたのかな?

入社して社会人となり、夜の付き合いが増えた。
お決まりのカラオケでは、上司の歌にももちろん笑顔で付き合わねばならない。
(大人の事情)

その頃に聞いたテレサテンの曲。
おじさんの歌うだみ声の演歌でも、その詩とメロディーには惹き付けられるものがあった。

荒木とよひさ、三木たかしコンビの、テレサテンの一連の曲は、演歌のカテゴリーを越えて皮膚にしみこんでくるような、ぞくっとする感動があったなぁ。

やはり、日本人のDNAには、演歌に感応する受信機が組み込まれているのだろうか?


三木たかしの名曲は数あれど、個人的に最も好きな曲である「つぐない (テレサテン)」をご紹介。
テレサテンも、その人生はドラマチックだったが、それはまたいずれ・・



次回のカラオケは、テレサテンを歌いまくろう。
(もはや、典型的なおっさんです)

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2009年5月31日 (日)

木綿のハンカチーフ

久しぶりの昭和歌謡ネタ。

太田裕美 「木綿のハンカチーフ」
最初に聞いたのは、おそらく小学生の頃だったような・・

メロディーの美しさもさることながら、その歌詞に魅了されてしまった。
小学生なのに・・ですぜ。

別段早熟だったわけでもないと思うが、その悲しい物語は訴えかけてくるものがあったねぇ。
メロディーが明るくポップなだけに、よりその悲しさがしみじみと感じられる。
あるいは、その悲しさがメロディーのリズムで程よく中和され、きわどいところで堪えているような・・

おそらくは、聞く人のおかれた立場によって、その感じ方も様々になるのだろう。

思い返せば、流行歌、歌謡曲なるものについて、初めてその歌詞の力を感じた曲でもあった。
それ以前も、例えばちあきなおみの「喝采」や、由紀さおりの「手紙」など、そのメロディーに魅了された曲はたくさんあったが、歌詞は良く分からん。

だって、小学低学年くらいだもの・・
「届いた~手紙は~ 黒い縁取りがありました♪」
・・なんて、さっぱり意味不明だったのよ。

そんな時、太田裕美。
その美貌とちょっと鼻が詰まったような声。
決して上手とは思わなかったが、何か惹かれるものがあったね。

さて、木綿のハンカチーフ
作詞は松本隆。
作曲は筒美京平。

ゴールデンコンビ。

小学生のときに聴いた曲。
その後、時が過ぎて高校卒業後、この歌詞と同じような経験をした同級生が何人かいた。

私は??
残念ながら、そんなロマンスとは皆無 _| ̄|○

大学は工学部で男ばかり _| ̄|○


まあ、人生そんなもんだね。

それにしても、太田裕美。
その魅力はいささかも衰えていない。


余談ながら・・
同時期に岡田奈々という女優がいた。

Pnol039


小学生の悪がき軍団の中で、太田裕美派と、岡田奈々派の派閥ができていたのが懐かしい思い出。

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2009年2月22日 (日)

飛んでイスタンブール

先日、お客様からトルコ旅行の土産話をお聞きした。
トルコ・・ 一度は行きたい国だ。

歴史を辿ると、この土地は様々な文化が通り過ぎていった。
そして、トルコの都市イスタンブールは、その時々によって呼び名が変ることとなる。

その昔、ギリシャ文明が支配していたときにはビザンティオンと呼ばれ・・
その後、ローマ帝国の時代には首都となり、時の皇帝にちなんでコンスタンチノープルと称された。

ローマ帝国分裂後は、東ローマ帝国として長らく繁栄することとなるが、その後オスマントルコに飲み込まれることとなる。
そして、今の呼称である、イスタンブールという名前となった。

このあたり、高校時代に世界史の授業で叩き込まれた。
何年にどこが支配し、何年に名前が変わって・・ええと、東ローマ帝国が滅んだのは1453年だったかいな?
などと、無味乾燥な年代を暗記したものだ。

しかし、幸運だったのは、その世界史の先生がとても熱心だったこと。
この数奇な運命を辿った土地は、古代より東と西の文明が織り成す交差点となり、それが独特の風景を生むこととなったのだ・・と、熱く語っていたのが印象的だった。

タイミング良いことに、庄野真代の「飛んでイスタンブール」が発表されたのは世界史の授業真っ只中のことだった。

いつか忘れていった、こんなジタンの空箱~♪

ジタンって何??
どうやらタバコのことらしい。

そのエキゾチックな名前と共に、この不思議な哀愁のある旋律が深く記憶に染み付いている。

ともあれ、ジタンという名前は私の中でトルコの象徴となり、その名前と共に、イスタンブールはいつか訪ねてみたい憧れの土地となっている。


その後・・
大学時代、喫煙をしていた頃にジタンを吸う機会があった。
味は? ほとんど印象に残ってないが、煙と共に過剰なジタンへの憧れは霧消してしまった。
やはり、憧れは憧れのままにしていた方が良いのかもしれない。

余談ながら・・
木工をするために会社を辞めようと考えていた頃、タイミングの良い(悪い)ことに、イスタンブール~ヨーロッパへの出張話が持ち上がった。

だが、木工への夢は絶ち難く、断腸の思いで出張を固辞し、退社した。
以来、私の中でイスタンブールへの憧れはますます強いものとなっている。

いつか、必ず行ってやるのだ。
そして、数十年の禁煙を破り、ジタンの一本を灰にしてみるのも良いかな?

作曲、筒見京平。
さすが、昭和のヒットメーカー。


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2009年2月 4日 (水)

いちご白書をもう一度

今月、地元のラジオ局はフォークソング特集だ。
懐かしい曲がたくさん流れてくる♪

先日、そのラジオ番組の中で”ばんばひろふみ”へのインタビューが流れていた。

ばんばひろふみと言えば、やはり「SACHIKO」が一番有名だろうね。
もう一つ、「手紙」という隠れた名曲もあるが・・・

さて、ばんばひろふみのこと・・
その昔、バンバンというフォークデュオを組んでいた。

ばんばひろふみと、高山厳の二人組。
高山厳の「心凍らせて」という曲がヒットしたのは、もう10年以上前になるかな?


話を戻して・・
バンバンのヒット曲といえば・・「いちご白書をもう一度」
ご存知ですよね。

特に、団塊の世代の方は思い入れの強い曲ではないだろうか?
学生運動の時代、それが過去のことになってしまった。
その寂寥感、モラトリアムを過ぎて社会人になっていく時の漠とした閉塞感のようなもの、そんな空気感を持った曲だ。

などともっともらしいことを言っているが・・
ワタクシはもちろんその世代ではない。

この曲が発表された昭和50年。
私は小学生。

なので、もちろん学生運動などに思想的には何の影響も受けていないが、その当時の空気はおぼろげながらに覚えている。

高度成長と大量消費の快楽が日本中を席巻していった時代だ。
進歩的といわれた思想は、経済成長の前にはやがて消え去る運命だったのかも?

しかし、時を経て、今の状態を改めて考えると複雑な思いに囚われてしまう。
・・・

ばんばひろふみへのインタビューに話を戻そう。
この、「いちご白書をもう一度」は、荒井由実の作詞作曲であることはご存知の通り。

当時まだ無名だった荒井由実の才能をいち早く認めたのがばんばひろふみだった。
そして、ばんばが荒井のもとへ行き、曲を依頼したとのこと。

やはり、名曲の誕生はドラマチックだねぇ。

ところで、曲のタイトルにもなっている映画「いちご白書」は、まだ見た事がないのだ。

今度、レンタル屋で探してみよう。

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2008年12月14日 (日)

時の過ぎゆくままに

古い曲だ。

沢田研二 「時の過ぎ行くままに」
作詞は、あの阿久悠。

最近になって、阿久悠の素晴らしさがしみじみと分かってきたように思う。

ちょっと前のこと・・・
テレビの追悼番組で、阿久悠のインタビューを流していた。

氏 曰く 
自分の中には終戦後に見た映画の名場面があふれている・・
その記憶の中から、ハードボイルドの場面では「勝手にしやがれ」などが生まれ、SFの気分では「UFO」が出てくる。

う~む、なるほど!

私も、ずいぶんと映画を見てきた。
どれがベストか? とは大変難しいが、やはり「カサブランカ」はベスト5には入るように思う。

最初に観たのは十代の頃・・
ボギー(役名リック)をみて、なんと女々しい男だろう・・なんて思った。

次に観たのは、確か二十代前半だったように思う。
ちょっと印象が変った・・感情移入できるようになった。
(ちなみに、漱石の「三四郎」が面白いと思ったのもこの頃)

男の中に潜む、ウジウジした部分をありのままに認めることができるようになったのもこの頃かも?
ダンディズムとは、それを認めつつ、カラ元気を張ることかもしれない?

そして、三十才ちょっと前。
間違いなくはまった!
この映画が、どうして名作と言われ、どうしてここまで人を惹きつけているのか?
それが、肌感覚で分かった。

「時の過ぎ行くままに」 As time goes by♪

あの当時から時は流れ、はやウン十年。
名作、そして名曲は今も色褪せない。

いや、歳を重ねるにつれ、その輝きはより増すばかりだ。

沢田研二、そして、ハンフリーボガード。
アンタの時代は良かった~♪ かな?


もひとつ  As time goes by
Play it again Sam.
イングリッド バーグマン  美しすぎる♪


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2008年12月 8日 (月)

さよならの向う側

昭和歌謡を語るときに、絶対に欠かすことのできないスター。

山口百恵

これは、誰しも異論がないところだろう。
アイドル、と言うよりはスターと言う言葉がぴったり。

スター誕生から生まれた。
しかし、そのスター誕生で、作詞家の阿久悠からは酷評されたらしい。

それ以来の確執なのか?
スター誕生出身であるにもかかわらず、阿久悠が山口百恵の作詞を手がけることはついになかった。

クールビューティーとでも言おうか?
常に冷静で、どこかに影を感じる表情は、彼女の決して幸福ではなかった生い立ちとあいまって独特の雰囲気を醸し出していた。

ちょっと前のこと・・
本屋で雑誌を立ち読みしていたら、当時の彼女へのインタビューが再掲載されていた。
引退前、20歳の彼女の言葉だ。

絶句。

この歳にして、その恐ろしいほどの自己分析と、哲学的とも言えるどこか達観したような言葉が出てくるとは驚嘆する他はない。

翻って・・
最近の芸能界、
そして、20歳前後のタレント達は・・

いや、何も言うまい。
むなしさがつのるだけ。


しみじみ思う。
山口百恵が活躍していた時代を共有できたのは幸せだった。

昭和の大スター、山口百恵。
しかし、意外なことにオリコントップを取ることはあまりなかった。

その理由は?
そう、ピンクレディーの存在。
そして、それをプロデュースしたのは、阿久悠。

ショービジネスの厳しさ、そしてそれを取り巻く人間模様。
興味は尽きない。


ご紹介の曲は?
名曲は数あるが、彼女の最後の曲「さよならの向う側」にしよう。

当時の20歳は、これほどに大人で、これほどに洗練されていた。
驚嘆すべき。


いや、しみじみ聞き返すと、やはり素晴らしいね。
今度、ベストアルバムでも買いに行こうっと。


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