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2015年9月 7日 (月)

法要に思う

昨日は亡母の三回忌法要でした。
久しぶりに親戚が集まり、楽しいひと時でありました。

姪の娘(生後10ヶ月)も初めてのお目見えで、皆のアイドルとして注目の的でした。

その娘を見ながら、、ああ、時が流れたんだなぁ。。
いつの間にか、私にも孫がいてもおかしくない年令になったんだなぁ。。

年を取ったんだなぁ。。。

◯眼だし、五十肩だし。。
テレビで健康番組をやってると、つい横目で見たりしてしまうし。。。

などと思ったりしましたなぁ。


考えみると、第二の人生として木工を志してからはや14年。
それ以前の会社員期間であった13年を追い越して、もはや第二のほうが長くなってしまいました。

木工人生。
あと10年ほどは続けたいなと思ってますが、さて、どうなることやら?

年末は亡父の17回忌。
父は61才でなくなりました。
その年になるまで、あと9年。

長いようで短い人生。
法要をするたび、そんなことを感じたりしますな。。

ともあれ、できることは一つ。
目の前のことに集中すること。

という訳で、今から工房に入るとしましょう。

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コメント

子どもの机を、作って頂いた者です。
ご両親とも、亡くなられたのですね、、、。
私も、十年前に母を、昨年父をガンで亡くしました。
男兄弟がいないため、姉妹でしきりました。
田舎に、父が建てた一軒家が遺されてしまったので、大泣きしながら遺品整理をし、10トントラック2台分、処分する会社に頼みました。
たくさんの物や家具の中で、私たち姉妹が最後まで持っていたのは、写真好きの父が撮りだめした大量のアルバムだけでした。
そして、家屋解体。
辛くて、現場には立ち会えませんでしたが、両親の遺言どおり全てを終えて、大変な思いもしました。
家って何なのだろう、、、と、思い知らされました。
私たち夫婦は、今の持ち家を自分で何とかして、子供達には辛い思いをさせないよう、始末したいと感じた体験でした。

投稿: シナモン | 2015年9月 7日 (月) 22:39

シナモンさん コメントありがとうございます。

私も16年前に父を病で、2年前に母を突然の心不全で亡くしました。

自分がいくつになっても、親がいる間はどこかで子どもとしての気持ちを持っているものですが、親を亡くすことでそれが無くなり、寂しい思いをすると同時に、時が流れたということを否応なく実感させられますね。

いつの間にか子供から大人になり、親になり、守られる立場から守る立場へ変わっていくことを、法事などのたびに感じさせられます。

今からは、家族の歴史を子供達に受け継いでいくことが主な使命となりますので、それを念頭に、様々な事を整理していかなければならないかな、と思ってます。

家族ってなんなのか?
受け継がれる記憶と歴史、なのかもしれませんね。

投稿: 栗原@simple | 2015年9月 8日 (火) 10:33

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