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2014年4月30日 (水)

ミスの背後には

間一髪という話・・

先日、商品を関東まで送ったのですが、送った翌日に間違い発覚。
注文書を読み直していたところ、一部の仕様間違いが発覚しました。

(@_@)

こりゃいかん。
時間的にはすでに配達完了しているころであります。

配達先がお客様宅であるならば、直接お電話するなりして返送のお願いをするところなのですが、しかし、この商品はプレゼント用としてご依頼をいただいたもので、配達はプレゼント先への直送!!

となると、不用意にお届先へご連絡をするのもためらわれ・・さあ、どうする??


とにかく、輸送業者の配達追跡サイトを開いて、伝票番号を打ち込んで確認。
すると・・・配達前でした。。

いや、正確に言うと配達にいったけれど、先方不在により持ち帰り保管中でありました。

さっそく輸送業者へ電話。
カクカクシカジカ、あれこれなんじゃもんじゃ・・で、配達差し止め、返送の手続きを取ることができました。

その後、ご依頼先のお客様へ電話。
事の顛末と、不手際のお詫びを申し上げたところ、快くご理解をいただき、胸をなでおろした次第です。

返送後は、もちろん仕様の間違いを修正し、改めて連休明けに発送することとなりました。


間一髪・・というところで、取り敢えずは良かったのですが、これは猛省せねばいけません。
病み上がりでリズムが狂い、集中力や注意力が散漫になっている傾向があることは自覚していましたが、実際の業務に支障が出るようではプロとしては失格です。

一つのミスの背後には、重大な間違いを犯す潜在的な危険が潜んでいる。
自覚を新たにし、気を引き締めなおしているところです。


でも・・・間一髪 良かったぁ

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2014年4月29日 (火)

白蓮と伝右衛門

先日はお昼から休みにして、隣町、飯塚市にある伊藤伝右衛門邸へ出かけてきました。
伊藤伝右衛門はかつての炭鉱王で、その自宅が飯塚市の管理のもと、現存しています。

ところで、なぜこの邸宅を訪ねたのかというと・・それは、今放送中の朝ドラ「花子とアン」に関係があります。
以下、見ていない方にはナンノコッチャの話となること、ご了承下さい。
(_ _)

ドラマの主人公ハナにとって、生涯腹心の友となる葉山蓮子(演者 仲間由紀恵)が劇中に登場していますが、この蓮子のモデルとなった人物が柳原白蓮です。
Yanagiwara_byakuren


白蓮は大正天皇のいとこに当たる人物で、最初の結婚に失敗した後、東洋英和女学校に入学・・
ここで村岡花子と出会うのですが、このくだりが現在ドラマで進行中です。


さて、白蓮はその後二度目の結婚をすることになるのですが、その相手が伊藤伝右衛門というわけなのです。
歳の差25歳ほどで、両者とも二度目の結婚でした。

白蓮と伝右衛門は、この飯塚の邸宅でおよそ10年ほどの結婚説活を送ることになるのですが、その生活の跡が今でも濃厚に邸宅に残っています。
祝言をあげた大部屋や、新たに増築された白蓮の間、そして、白蓮が持参した石灯籠などなど・・

ボランティアの説明を聞きながら邸宅内を見て回りましたが、炭鉱王伝右衛門の底知れぬ財力に瞠目したことでした。

これは、木工を手がけた人ならばわかることですが、例えば14メートルに渡る一本物の柾目の長押や、榧の柾目引き天井板。
恐ろしいほど繊細な組子の欄間や、その正反対にある総欅の門構えなどなど・・

ただ、これらの造作はこれみよがしではなく、分かる人にはわかる・・と言った按配で、キンキラキンのようなコケオドシ的装飾は一切ありません。

また、白蓮の部屋も、女性らしい繊細さと、日が射した時の影の動きまでを計算した緻密なもので、上品さと遊び心にあふれる造作。
この部屋を見るだけでも、白蓮の人となりが伝わってくるようです。

白蓮はここで詩作に没頭し、やがて筑紫の女王と呼ばれるほどの知名度を誇るようになるそうなのですが、この辺りはドラマで描かれるのかな?

ちなみに、白蓮はその後年下の男性と恋仲となり、勝手に家を飛び出し、なおかつ伝右衛門への絶縁状を新聞紙上に公開して叩きつけるといった前代未聞のスキャンダルを引き起こすこととなります。

波乱万丈の人生を送った柳原白蓮。
部屋に残された彼女の痕跡を眺めながら、その数奇な人生に思いを馳せたりしたことでした。

・・・白蓮の話が主になってしまいましたが・・ 
伊藤伝右衛門邸は、その規模や造作はもちろん、当時の炭鉱王の暮らしぶりや人となりを見る上で、とても興味深い史跡といえます。
ボランティアも充実しており、入館料300円で一時間ほども邸内を説明しながら案内してくれます。

現在、期間限定で花子とアンの小さな展示会も開催中。
花子と白蓮が交わした自筆の手紙なども展示されていますよ。

お近くの方は、連休中にでもお出かけしてみてはいかがでしょうか?


参考
伊藤伝右衛門邸
柳原白蓮

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2014年4月28日 (月)

いつも突然

突然、パソコンの無線LANが繋がらなくなりました。
なんで??

仕方ないので、久しぶりにLANケーブルを取り出して、有線で接続中。

全く、パソコンというやつは、いつもいつも突然おかしくなりますな・・

さてどうするか?
困ったもんだわい。

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2014年4月27日 (日)

連休だって??

連休が始まったらしいのですが、何のこと?

( ゚д゚)ポカーン

というわけで、打ち合わせ、納品、製作の三本柱を変わらず進めている今日このごろです。


体調については7割方戻ってきていますが、夕方になると術部の疼痛が出てくるため、自分の体と相談しながらだましだましやってます。

今週中にできるだけ工程を取り戻し、連休後半はちょっと休養させてもらおうかな?
などと、考えております。

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2014年4月25日 (金)

地域貢献

修理に行ってきました。
家具ではなく、木製ホワイトボードです。

ホワイトボードといえば、会議室には無くてはならない物で、私も会社員時代にはずいぶんと活用したものですが、フレームが木製であるものは、社内外にかかわらず一度も見たことがありません。

珍しいな~


そもそもの発端は一本の電話から・・
ボード脚部が壊れていて、修理できないだろうかとの問い合わせでした。

弊工房は、原則として修理はお断りしているのですが、聞くとすぐのご近所様。
となると、地域貢献という使命もありますので、無碍にお断りするわけにも行かず、とりあえず一度拝見しましょうということで、出かけて行ったのでした。

場所は、近所にある地場企業の社屋。
その最上階にある大きなホールです。

案内されると、ありました。
大きなホワイトボード。
そして、確かにフレームは木製です。

これは珍しい。

聞くところによると、おそらく20年以上は使っているとのこと。
それが、このところ脚部にガタが出てきて、安定性が悪い。
木製のボードというのは珍しく、愛着もあるので、なんとか修理できないだろうか? とのこと。

見ると、左右のフレーム下部に接続している摺脚がガタついています。
ちょっと叩いてみると、外れました。

接続部の構造は。。やはり・・・ダボです。
8ミリ径のダボが四本立っており、これを相手側の穴に差し込み、接着剤で固定する方式。

ボードは畳一畳程もある大きなもので、重さもかなりあります。
このため、当然のことながら摺脚との連結部にも大きな荷重と、モーメントがかかります。

正直なところ、このような部位にダボを用いるのは適切とは言えず、量産品の割り切り方というものをまざまざと見せつけられたことでした。

さて、どうしたものか?
接着剤を塗り、組み直せば当面しのぐことはできますが、しかしこれは応急処置に過ぎず、やがてまた同様の状況になることは避けられないでしょう。

恒久対策を考えるならば、フレームと摺脚を新作し、ダボではなくほぞによる木組みで連結する必要がありますが、そうなると大きな修復となり、時間も費用もかかります。


ということをご説明し、検討をお願いしていたところ、応急処置でも良いのでお願いしますとのこと・・
というわけで、この度修理に出かけてきたのでした。

ガタも大きかったので、接着剤は2液性のエポキシを利用。
そして、補助的にアングル金具を取り付け、応急処置完了。

できるだけ丁寧に取り扱えば、これでしばらくは保つであろうことを説明して、修理完了しました。


木工人としては、十分な対応とは言えない仕事でありますが、それでもわずかばかりの地域貢献ができたのは良かったと思ってます。

また、修理をして大事に使いたいという企業さん側の思いも嬉しく、是非少しでも長く使ってもらえると嬉しいですね。
なんて、まるで自分の作品のように思ったりしたことでした。

やはり、木製の物って・・ いいですね!!

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2014年4月24日 (木)

アイドル好きではありませんが

電話あり。
何やらテレビ局の〇〇と言う方からの電話。

往々にして、このような電話は十中八九広告の勧誘であると相場は決まっていますので、警戒モードで内容を聞くことにしました。

すると・・
どうも勧誘ではないみたい。

テレビ撮影についてのことらしく、興味津々で聞いてみました。

手作り家具のような商売は、一般的に見るとかなり珍しいらしく、時々このような問い合わせが来ます。
過去にも何度かテレビ、新聞などに出たこともあり、宣伝効果としては抜群なのですが、しかし、放映後にピンからキリまでの問い合わせが集中するため、後の対応が結構大変になるのが悩ましいところではありますね。

で、内容ですが・・・
おそらくまだ企画段階でしょうから、詳細を書くことは控えますが、全国的に有名な福岡のご当地アイドルグループが、我町北九州でいろいろなことを体験する番組を企画しているらしく、その一環で工房体験ができないかとのこと・・・

おおおおお、これは、千載一遇のチャンス。
アイドルに興味のないワタクシではありますが、それでもあのグループの存在は知っております。

しか~し・・いかんせん、極端に狭い我が工房。
受け入れられるのはせいぜい一人か二人・・とても48人は無理でござる。
(実際に来るのは10人らしいのですが・・でも、無理)

残念ながら、お断りするしかありません。
(ーー゛)


でも、まあ、派手なことは私には似合いませんわね。
これからも地道に、地に足をつけてやっていくこととしましょう。

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2014年4月23日 (水)

医療保険を申請する

医療保険の申請をしました。
いままで何十年も保険をかけ続けてきて、いつも「なんだかな~」と正直思っていたのですが、保険とはやはり、いざというときはありがたいものですね。

引き出しの奥から保険証券を引っ張りだし、初めてしげしげと読んでみました。
保険申請の手続きについて色々書いていて、かなり面倒そう・・
おそらく、なんだかんだと質問され、あれを持って来いだの、これを持って来いだの、ややこしい手続きがいるのかな・・などと思った次第。

まあ、とにかく電話してみよう。
フリーダイヤルにかけてみると・・・

ワンコールでオペレーターに繋がりました。
(好印象)

保険の申請をしたい旨告げると、
証券番号と、氏名、誕生日を言ってくれとのこと。

それらを答えると、入院期間、手術の有無、ICUに入ったか否か、病名 について尋ねられました。

それで了解してもらったらしく、保険金支払いの要件にあたりますので、明日必要な書類を発送するとのこと。
書類は、申請書と診断書の二種類で、診断書は医師の署名をもらってくれ・・
そして、書類を送り返してくれれば、指定の口座に振り込むとの由。

この間のやりとり、3分弱ほど。
予想に反して、極めてあっさりと話が進みました。

まあ、あとは書類を受け取ってからの事になりますが、とりあえず非常にスムースに話が進みましたので、今のところかなり良い印象です。

皮算用によると、今回の支払総額の8割程度は保険でカバーできそうな見込み。
期待して書類を待ちたいと思います。

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2014年4月22日 (火)

筍がある幸せ

今が旬といえば・・筍です。

いただきました。
朝堀りの筍を灰汁抜きし、水煮したもの。

感謝感激雨あられ  (^o^)

何を隠そう、私は無類の筍好きで、この時期、旬の筍があれば他には何も要りません。

さっそく、筍ご飯と焼筍、そして、定番のわかめとの炊合せ。
朝堀りの筍はほんのりと甘みがあり、薄味で仕上げるとほんとうに美味しい。

エグみも殆ど無く、かと言って、全くないわけでもない。
そうなんです、この微かにわずかに感じるエグみが筍の持ち味でございますね。

あ~幸せ。
焼酎も、ほんのちょっとだけ・・ たまりません。

たらふく食べて、まだ半分ほどあります。
さて、これらはどのように料理するか?

まずは、青椒肉絲でも?
当分楽しめそうです。

Fさん、毎年ありがとうございます。
今度、ぜひ時間をとって、ゆっくり遊びにおいでください。

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2014年4月21日 (月)

法隆寺展

法隆寺展へ行ってきました。

法隆寺といえば、実は先月末に奈良(の斑鳩)へ行く予定だったのが、入院により中止となり、残念な思いをしていました。
それが、この度、福岡市美術館で法隆寺展が開催されるとのことで、いそいそと出かけて行った次第です。

JRと地下鉄を乗り継いで・・ すっかり落ちてしまった体力を回復させることと、また、今の状態でどれほどの距離を歩くことができるのか? ということを確認する意味合いも兼ねての訪問鑑賞です。

大濠公園前で地下鉄を降り、公園内を美術館までゆっくり歩きます。
大変な人混みを予想していたのですが、予想に反して人出は少なく、ゆっくりと見ることができました。

仏像は、飛鳥時代(白鳳時代と言ったほうが良いのか?)の作が中心で、面長の独特の表情が印象的。
後代の鎌倉時代のそれと比べると、造作的には稚拙な印象もありますが、しかし、それゆえの素朴さが逆に人を引きつけるようでもあり、アルカイックスマイルと呼ばれる独特の表情には、不思議な魅力を感じます。

また、各地様々に伝えられている聖徳太子像や、絵画の展示も数多く、正直なところ、法隆寺展というのは適切ではなく、聖徳太子展と言うべき内容でありました。

これらを見ると、聖徳太子信仰がいかに根強かったのかが分かります。
やはり、次の1万円札には聖徳太子を復活させてほしいものですなぁ

展示会の後は、またゆっくりと歩いて隣の舞鶴公園へ。
黒田官兵衛で話題の福岡城址を見学しようかと思いましたが、大事を取ってそれは止めとし、天神へ行って昼食。
(久しぶりの天神・・・人多すぎ!!)

その後、博多駅まで戻り、今開催中の「金魚アクアリウム展」を見ようかと思いましたが、一時間待ちで断念。
(もう、ホント、人多すぎ!!)

コーヒー飲んで、早々に帰宅しました。


体調と相談しながら、だましだましの半日行脚でした。
途中、術部の痛みを感じたりすることもありましたが、それでも延べ5キロほどを歩くことができたのは嬉しく、自信にもなりました。

それで、今日からは8割程度まで製作ペースを戻していこうと思っています。
重いものも、そろそろ持ち上げても・・・大丈夫かな?

リハビリ8合目・・と言った現在です。


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2014年4月19日 (土)

男の隠れ家

さて、退院からこちら、なんだかんだと打ち合わせが続いております。
木工作業はまだしんどい状況ですが、打ち合わせやデスクワークにはほとんど支障ありません。

昨日も、20キロの距離を門司港まで行ってきました。

大変ユニークなお問い合わせ・・
詳細はまだ明らかにすることはできませんが、とてもマニアックな世界の、マニアックな器具・・というか、作業台のようなもの。

さて、どうしたものか?
お客さんと顔を突き合わせて、あーでもない、こーでもない。

今までの経験値をフルに使いつつも、その経験を時には大胆に捨て去らねばならない。
新しいものを考えるということは、常にそういうプロセスやアプローチが必要なのです。

頭を柔らか~くして、、常識にとらわれず、さりとて、空想や夢想ではなく、現実的に加工可能な構造とは??

不思議なもので、こうやって知恵を絞っていると、入院で失われた体力もまた回復してくるようでもあります。

ある程度の方針を決め、その線に従って詳細を練り、改めて打ち合わせすることで合意。
正直なところ、利益にはあまり結びつきそうにない仕事ではありますが、これによって得られる有形無形のことは、必ず将来への投資になることでしょう。

時には、このような未知への挑戦も良いものです。


ところで、打ち合わせをしたお部屋は、いわゆる「男の隠れ家」といった佇まい。
車のガレージを隠れ家に改造した空間で、もちろん車が主役なのですが、それを整備する工具類や、大きな工具箱。
机は、ガラスを仕込んだショーケースのような作りで、お客様秘蔵のコレクションが並んでいます。

そして、大きな工具ボックスの中には、ターンテーブルが2つ並び、上にはアンプ。
横には、バーボンのカクテルサーバーが備わっているというこだわり。

扉の中にはレコードがズラリで、なんと、シングルレコードもたくさんありました。

その中から、昔の歌謡曲を聞かせてもらいました。
大橋純子 「たそがれマイ・ラブ」
庄野真代 「飛んでイスタンブール」

もう、懐かしすぎて、涙が出そう。
同世代のお客さんと、しばし音楽談義で盛り上がりました。

打ち合わせがメインなのか? 趣味がメインなのか?


ともあれ、楽しみが増えました。
この次は・・・私の秘蔵のレコードを持って行こうかな?

・・・なんて、どちらがメインなのか???(^^;

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2014年4月18日 (金)

そして退院へ

術後四日目、待望の食事再開。
看護師さんが、朝食を持ってきてくれました。 待ってました♪

最初は重湯からだろうな・・・なんて思っていたら、ナント、ジャムサンド。
そして、玉子焼きにシーチキンサラダ、さらに牛乳とデザートまでつくという豪華さ。

「こんなに食べていいの?」

6日ぶりの食事、ゆっくりと味わいながら食べました。
久しぶりのためか、なんだか味蕾が研ぎ澄まされているようで、いろいろな味を感じました。
やはり、食べるって・・いいですね。

昼と夜は五分粥。
ほとんど味はしませんが、ふりかけをかけながら、これもじっくり味わって食べました。


翌日は全粥。
そして、そして、ついに輸液の点滴が抜け、これで体につながっている全ての管がなくなりました。

完全な自由、まずやったことは、洗髪。
洗髪専用の部屋で、ドレッサーにシャワーを出し、髪を洗う。
いや~さっぱり。

そして、足を鍛えるために階段を降りて、外来棟の売店へ朝刊を買いに行きました。
まだまだちょっと歩いただけで息が上がりますが、それでも階段を昇降できたのはとても嬉しく、自由に動けることのありがたさをしみじみ感じたものでした。

この日はとてもよい天気。
外を見ると、病院敷地の外れにある桜並木が満開です。

よし・・・と、午後の食事のあと、階段を下り、外来棟を抜け、久しぶりに外へ出て桜を眺めました。
この時の桜の美しさは格別で、ひときわ胸に染み入るような思いがしました。

夜の食事は、病室ではなく、デイルームでとりました。
おっちゃんたちが数人集まっており、病気の話、野球の話などなど、よもやま話に花が咲きます。
深刻な病気の話にもすっかりなれてしまい、それぞれの病状を笑い飛ばす、さながら酒を飲まないプチ宴会を消灯ギリギリまで楽しんだことでした。

慣れって、スゴイ。

その後、9日ぶりの入浴、抜糸・・・そして退院。
お世話になった看護師さんとおっちゃんたちに挨拶し、計10日の入院生活が終わりました。

退院と言っても、まだまだ重いものは持てないので、春休みの長男が手伝いに来てくれました。
バッグを抱えて先導してくれる後ろ姿を見ながら、息子の成長を実感したものでした。

会計を済ませ、病棟の外にでると・・・なんだか名残惜しくもあります。

いろいろなことがあり、いろいろなことを思った10日間でした。
いままで病気とは無縁の生活を送っており、入院なんて別世界のことと思っていたのが、今回思いがけずこのようなこととなり、別世界の住人になることを強いられました。

健常であれば決して経験することのない様々なこと。
そして、あまり真剣に考えてこなかった「生きる」ということの意味。
それらのことがめまぐるしく頭のなかを駆け巡り、結論は出ないまでも、いろいろなことが交錯した日々でした。

また、主治医の先生をはじめ、看護師さんや、その他の病院スタッフの方々・・
皆プロで、その働きぶりのは感心させられることばかり。
10日の入院生活で、不快な思いをすることは一度もありませんでした。

特に、看護師さんたちの笑顔を絶やさないテキパキとした処置で、どれほど安心させられたかわかりません。
すべての病院スタッフに、感謝申し上げます。

今、退院から二週間が過ぎました。
体調の回復は6割程度。

事務作業に支障はありませんが、木工実作業はまだ3割程度のペースがせいぜいの状態にあります。
あらためて、手術が体に及ぼすダメージの大きさを実感しているところです。

そしてこの間、また、今からも・・おまたせしているお客様のことを思うと冷や汗が出る思いがしますが、できるだけ早く、しかし、焦らず体調を整えて、製作ペースを取り戻していこうと思っています。


最後に・・・今回の経験からわかったこと!
入院の際の必需品は??

それは!


ラジオです♪


おわり

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2014年4月17日 (木)

立った 歩いた 自由だ

術後二日目の朝、絶食のため朝食もなく、変化のない朝です。
看護師さんが定例の検診に来ました。 体温、血圧を測ります。

その後、相変わらずすることもなく、ラジオを聞いていたところ、朝の回診となりました。
主治医のM先生・・「変わりはありませんか?」  「ありません」

「状態も良いようなので、背中の麻酔を抜きましょうかね」
背骨のところに留置していた、麻酔の針が抜かれました。
一つ自由になりました。

しばらくすると、看護師さんが輸液の交換に来ました。

「動けそうですか?」 「まあ、なんとか・・・なる・・と思います」

「それじゃ、尿道管を抜きましょうか?」 「是非、お願いします」

もう、恥ずかしいとか何とかはどうでもよく、ただひたすら、早くこの管を抜いて欲しい。
その一点でした。

ゆっくりと抜いていくのですが、大変気持ちが悪い、そして、ちょっと痛みも。
(>_<)

「はい、抜けました。 最初はおしっこした時に痛みがあると思いますが、そのうち良くなりますので・・」
そのとおりでした。

さあ、尿道カテーテルも抜け、これで残っているのは輸液点滴のみ。
これで、かなり自由になり、歩くこともできるようになります。

「あとで歩く練習をしましょう・・ナースコールしてくれれば、介助に来ますので」

いやいや、こんなことで介助されるわけにもいかない。
なんとか自分で立ち上がらねば・・・

スイッチを押してベッドの角度を立て、体を起こして、その状態で腹筋を使わず、腕だけの力で体を右側に捻ると・・足がベッドの外に出ます。
その足を床におろして、腕の力で体を前に出し、体重を足に乗せます。

立てました!!
まるで、クララが初めて立ったときのような感動でございました(ホントにホント)

まず最初にヒゲを剃り、顔をタオルで拭きました。
さっぱり。

と・・ちょっとめまいが。
そして、なんだか体がきつい。
ああ・・と、ベッドに腰を下ろしました。

改めて感じたことですが、手術というのは想像以上に体にダメージがあり、体力を減退させるものだな・・ということです。
これは、その後も事あるごとに感じることとなり、術後二十日ほども経った今でも、まだまだ完全復調とはいえない状況が続いています。


疲れたといえ、またベッドで寝る気はありません。
歩く練習をしよう。

まずは、病棟内を一周(60メートルほど)するのだ。
病室の扉を開け、廊下に出ました。
自分の足で歩く感動に浸りながら、ゆっくりと歩くのですが、ダメ!
5メートルほどで体がきつくなり、こりゃまずい・・と思いながら、病室に戻りベッドに腰掛ける。

しばらくしてまたトライ・・少し距離を長くして、病室に戻る。

これを繰り返し、夕方にはついに病棟を一周することができました。
この達成感・・・術後初めて「俺は自由になった」と、感じた出来事でもありました。

その翌日も、ひたすら病棟を歩き、体力の回復に努めました。
この日は腹部のレントゲン撮影があり、内臓の状態を確認。

そして翌々日・・・術後四日目・・・ついに絶食が終わり、食事が始まったのです。

つづく

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2014年4月16日 (水)

病棟へ帰る

首だけしか動かすことのできない、長い長い時間。
昔見た「ジョニーは戦場へ行った」という映画を思い出したりしました。

それでも、ようやく病棟へ帰る時刻となり、移動用のストレッチャーに移し替えられました。
これでICUとはおさらば・・

担当の看護師さんはとてもにこやか、親切で、しかも美人(マスク越しなので、多分♪)でしたので、名残惜しい思いもあるのですが、しかし、周囲を医療機器に囲まれ、あちこちのランプが点滅し、いかにも危機管理万全といったハイテク部屋というのは、意識がはっきりした者にとっては、その風景自体がなんとも言えぬストレスになるようです。

ストレッチャーに乗ると、見えるのは天井ばかり。
廊下を通り、エレベーターに乗り、病棟4階へ。
ナースステーション前の個室が、新しい部屋です。

ベッドの横には大きな窓があり、外の風景が見えるのにほっとしました。
動けないのは一緒だけど、窓があるだけでずいぶんと気が紛れます。

看護師さんが、預けていた私物の入ったバッグを持ってきてくれました。
「何かいるものはありますか?」

バッグの中身を確認してもらったところ、ラジオが出てきました。
それそれ・・・ラジオ・・・ください。

ラジオをとってもらい、イヤホンをつなぎ、チューニングすると・・
ああ、流れてきましたよ。 いつも聞いている、好きな番組が♪

ラジオが聞ける幸せ。
ほんのちょっとですが、日常を取り戻したような気がしました。

病室にはテレビもあるのですが、寝たままの状態では画面を見るのもちょっときつい。
いや、それ以前に、テレビカードを差し込むために、体を捻ることもできないのです。

ラジオを聞き、そして、ちょっとであれば飲水も可となりましたので、吸飲みを借りて水を飲みました。
甘露甘露。
痰の問題も解決し、ちょっと人心地ついたような思いがしました。


体の管は半分ほど外れましたが、輸液点滴、硬膜外麻酔、そして、尿道カテーテルはまだついたまま。
麻酔が効いているためでしょう、腹部の傷はそれほど痛みを感じません。
その代わり、なぜか右指先にしびれがあり、右肘と肩にかなりの痛みを感じるようになりました。

看護師さんに聞くと、多分腹腔鏡手術の副作用に依るものではないかとのことで、痛みが強くなるようなら鎮痛剤を使いましょうとのこと・・

薬はあまり使いたくないので、様子を見ることにしました。
幸いにして、痛みはその日限りで消えていき、ホッとしました。

手術翌日はそのように過ぎて行きました。
夜もなかなか眠れず、ずっと深夜放送を聞いていました。

こんなこと、中学校の時のオールナイトニッポン以来ですわ。
深夜放送、NHKのラジオ深夜便を聞いていたのですが、大人向けの番組で、なかなか面白い。
ちょっとした発見でした。


つづく

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2014年4月15日 (火)

動けないつらさ ICUにて

ここはICU。
意識がはっきりしてから、自分がどういう状態にあるか、確認してみました。

左指先には脈拍などをモニターするためのプローブが取り付けられ、背中には硬膜外麻酔のカテーテル。
右腕には輸液点滴のカテーテルが入り、鼻には酸素吸入管が差し込まれています。
両足は、いわゆるエコノミー症候群防止のために、キツめのハイソックスを履いているのですが、それに加えてふくらはぎがマッサージ器のようなものに挟まれており、これが定期的に締まったり開いたりしています。

そしてそして、やはり入っていました・・・尿道カテーテル。
_| ̄|○


こんな状態なので、身動きできない。
顔を左右に振るのがせいぜいです。

時刻は朝の4時半。
看護師さんはにこやかに、まだ朝には早いので、ゆっくり寝てくださいと言うのですが、眠れるものではありません。

できることは、顔を傾けて全く進まない時計を見ることだけ。

そのうち、喉の奥に痰が絡んできました。
乾燥しているためか、それとも、昨日より絶飲水となっているためなのか、口の中はカラカラで、痰を飲み込むことができない。

ならば、吐き出せないかと思いましたが、吐き出すためには腹筋を使わなければならず、そうすると傷口に痛みが走るため、これも無理。

痰はしつこくのどの奥に張り付き、気になって仕方がない。
そのうち、呼吸困難になるのでは? という恐怖すら感じます。

たまらずナースコールをして、痰が絡んで気持ち悪い旨を告げると・・・
「うがいしてみましょうか?」

ベッドの上半身をあげてもらい、吸飲みを口に当ててもらって水を含み、ガラガラとうがいをします。
若干マシになりました。

しかし、またしばらくすると同じような状態に・・・
このため、わがままを言ってその都度うがいをさせてもらったのですが、看護師さんは常ににこやかに対応してくれました。

痰が絡み、動けず、そして、腹部には鈍く重い痛みを常に感じます。
あああ・・手術って・・・いやじゃ~  と、心底思いました。

そんな状態で、長い長い3時間が経ち、朝の7時半。
ここからは、検温だの、血圧だの、体重測定だのといった検査があり、ちょっと気が紛れました。
体重測定なんて、ベッドに寝たままで器用に行うんですよね(感心)

そして、体の清拭。
温かいタオルで、看護師さんが体全体を拭いてくれるのですが、これが大変気持ちが良い。
生き返った気分です。

さっぱりしましたが、その後はまた・・・動けない状態でベッドに寝ているだけ。

「10時半になったら、病棟へ移りますからね・・・」

10時半まで、あと二時間半。
また、長い長い時間を痰と格闘しながら過ごすことになりました・・・


手術は嫌じゃ~


つづく

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2014年4月13日 (日)

手術からICUへ

車いすを押され、扉の奥、左へ曲がると、そこが手術室でした。
大きな扉があり、上に「8」の文字。
8番手術室ということなのでしょう。

8というと、漢数字で書くと八で、末広がりなので縁起がいいかも?
なんて、愚にもつかない事を考えていると、扉が開きました。

中に入ると・・・
手術室ですよ!!

テレビドラマで見たとおり。

天井にはサークル状の大きな無影灯、壁上には50インチ位のモニター画面が複数あり、その他、たくさんの機器類が並んでいます。
脇には手術助手の方でしょうか、、マスクと帽子をかぶった二人が、何やら手術器具らしきものの準備をしていました。

そして、目の前には・・・手術台。
単なるベッドではなく、床屋の椅子のようにあちこちがリクライニングできるような形をしています。

ああ、これは現実なのか?
本当に俺は手術をうけるのか?
これは何かの間違いで、妙な夢を見ているのではないか?

不安と緊張が増していき、頭が現実逃避を始めたようでした。

すると、麻酔科の先生登場。
「おまたせしてスミマセン、麻酔科のAです。 今から準備を始めますので、どうぞ、手術台へ上がって下さい」

にこやかな表情で、世間話をするように言われました。
妙なことに、これで一気に気分が落ち着き、キモが座ったような気がします。
医者の笑顔や、普段と変わらない調子の会話など、大事なんだな~

手術台へ上がると・・・
「では、まず硬膜外麻酔をしますので、右向きに寝て、背中を丸く後ろへ突き出して下さい。 ゆっくりでいいですよ~」

助手の看護師に介助されながら、その姿勢を取りました。
「はい、それでは今から針を挿していきますので、そのままの姿勢でじっとしていてくださいね」

先生の手が背骨をなぞり、位置を決めたようです。
痛いのかな? と、かまえていましたが、さにあらず、ちくりとした痛みすら感じません。

「はい、終わりました。 それでは仰向けになって下さい」

あっけないな・・と思いながら仰向けに。
「では、指先にモニター用のプローブをつけます」
大きな洗濯バサミのようなプローブが左手の人差し指に付きました。

ここで、主治医のM先生登場。
「お待たせしました。 それでは今からはじめますね。 よろしくお願いします」

続いて、麻酔科のA先生・・
「では、今から麻酔を入れていきます。 左手につながっているカテーテルから入れますね」

左手のカテーテールは、輸液点滴のために留置しているもので、カテーテル途中にあるコネクターに麻酔薬をつないで、体内に注入する仕組みです(前日に説明があったとおりです)

「はい、それでは入れていきます。 痛かったら言って下さい」
左手の注射針が入っているところが、冷たく感じます。
ああ、麻酔薬が入ってきたんだなぁ・・とはっきりわかりました。

「大丈夫ですか?」 「ハイ、大丈夫です」

「では、今から口にマスクを当てます。 酸素が出ますので、ゆっくりと深呼吸をするように吸って下さい」

ゆっくり吸い込みました。
そして、ゆっくりと吐き出します。

無臭です。 酸素なんでアタリマエか・・などと考えていたのを覚えています。

そしてもう一度、ゆっくりと吸い込みます・・・
記憶しているのは・・・ここまでです。


「クリハラさん クリハラさん」
呼ばれたような気がして目を開けると、そこはもうICUのベッドでした。

傍らにはカミさんと長男が座っています。

「お疲れ様、終わったよ♪」
カミさんが言います。

終わったのか!
いつの間に。
時間の感覚もなく、夢も見ていません。
マスクで酸素を吸ってから、一瞬後の出来事でした。

意識は朦朧としていますが、腹部には鈍い痛みと重みがあり、確かに手術が終わったことは実感できました。
ああ、終わったんだ、と思うと、また意識が遠くになるようでした。

次に気が付くと、主治医のMさんが右側にいて、
「手術は無事終わりましたので、ゆっくり休んで下さい」
と、言ってくれたように記憶しています。

ああ、やっぱり終わったんだ。
再び眠りに落ちました。

次に気が付くと、看護師さん。
「今何時ですが?」と尋ねたところ、「夜の八時半ですよ」

いつの間に、もう7時間も経ってしまったんだな・・・

また朦朧。
次に気がついたのは、午前四時半。
この時はもやもやもなく、はっきりと意識が戻り、覚醒しました。

そうだ、ここはICU。
手術は終わったんだ。
はっきりと自覚したのですが、これが苦痛の時間の始まりだったのです。


つづく

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2014年4月11日 (金)

手術室へ

入院三日目の3月28日、いよいよ手術当日です。
早く切って欲しいような、欲しくないような、複雑な気持ちでした。

手術は午後12時半が予定時刻で、その前に嫌な術前処置があります。
それは・・・

浣腸  ( ̄□ ̄;)!!

いや~


昨日ニフレック飲んで、20回もトイレに行ったのに、この上浣腸までしなければならないの?
と、看護師にゴネるも、通用せず。
そのまま処置室へ連れて行かれました。

「はい、下着を脱いで、横向きに寝て、足を曲げておしりを出して下さい」
言われるがまま、素直に従います。
羞恥心はとっくに捨て去りました。

小学校以来、40年ぶりくらいの経験でございます。

「はい、終わりました。 トイレまで自分で行くことができますか?」
行きますとも、行きますよ・・このうえトイレの中まで介添えされるわけにゃ行きません。

ところが、これが大変でした。
下腹部全体に痛みが走り、そのうち体温が下がって貧血のような状態に・・
手のひらと額には汗がにじんで、そのうち目の前がクラクラ・・・よほどナースコールしようかと思ったくらいです。

ともかく、出すべきものは全て出して、フラフラになりながらベッドに倒れ込みました。
これが、今回の入院で最も危機感を感じた出来事でした。

次の処置は、へそのゴマ取り。
冗談か? と思っていたら、大事な処置らしい。
なんでも、おへそを起点に上にメスをいれるので、不潔にならないようしっかりとゴマを取らなければならないらしいのです。

オリーブオイルを垂らしながら、看護師さんが綺麗にとってくれました。
浣腸と言い、ゴマ取りと言い、いろいろな経験をしました。

さて、これで術前処置は全て終わり。
手術着に着替え、あとは待つだけです。


前の手術が押したらしく、予定時刻から30分ほど遅れてお迎えがきました。
「栗原さん、お待たせしました。 では、今から手術室へ向かいます」

看護師さんが用意した車いすに乗り換え、相部屋の皆さんに挨拶をして病室を出ました。
エレベーターで4階から2階へ下り、廊下を進み、突き当りを右へ回ると、そこが中央手術室の入口です。

ここで、家族(カミさんと長男)と別れます。
「じゃあな、行ってくる」

扉が開き、中に入ると・・・そこは十畳ほどの待合スペースとなっていました。
受付のカウンターのようなものがあり、係員が何やら書類を確認しています。

と、奥の扉から、手術担当の看護師さんがやってきて、名前や、手術の内容などなど・・いろいろな項目について確認を取られました。
昨日同じことをしたばかりなのに面倒だな、と思いつつも、これが万一の医療ミスを防ぐための、欠かすことのできないチェックリストなんだろうな・・と、思った次第です。

チェックが終わったあとは、少しお待ちくださいと言われ、およそ10分ほど車いすに乗った状態で待機させられました。

これが、一番嫌な時間でした。
早くして欲しい、いや、して欲しくない。

まさに手術を目前にして、心は揺れるのでした。

奥の扉が開き、看護師さんがやって来ました。
「では、今から手術室へ入ります」

いよいよ運命の時がやってきたのでした。


つづく

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2014年4月10日 (木)

入院2日目~手術前日

入院二日目、手術前日でもあります。
今日からは絶食で、手術前までに腸の中を空っぽにしなければなりません。

絶食の間、点滴での栄養補給となりますので、朝イチでさっそく看護師さんがやってきて、処置が行われました。

腕の静脈に針を指し、ここからカテーテル(管)を延長して点滴バックにつなぐのです。
バックは500mlで、これを8時間かけて落とします。
一日あたり3バックで、24時間ずっと点滴しっぱなしです。

今からの命をつなぐのはこの点滴。
水耕栽培のトマトになったような気分でありますな。

今からは、どこへ行くにも点滴を持っていかねばなりません。
キャスター付きの点滴スタンドをゴロゴロ押しながら廊下を歩く姿は、誰がどう見ても完全に、立派な病人であります。

さて、次のイベントは・・・

下剤!

憂鬱 (-_-;)


下剤は、ニフレックという名前の液体で、2リットルの量を2時間かけて少しずつ飲むのです。
これがね・・まずいんですよね。

出来損ないのスポーツドリンクのような味で、こう、その、なんとも言えぬ独特の味わいです。
ちなみに製造元は「味の素」で、それならば多少味にも気を使ってくれれば良いのに・・と不満を言いながらも、少しずつ飲んでいきました。

最初のうちは特に変化はないのですが、半分ほどを飲んだ頃、一時間ほど経過した頃から・・・
キタキタキタキタ(食事中の方、スミマセン)
そこからは、ひたすら病室とトイレの往復で、その回数は合計20回にも及びました。

ゲンナリします (;´д`)トホホ…


その後、夕方に麻酔医から麻酔についての説明がありました。
硬膜外麻酔と、全身麻酔について、それらのやり方と危険性など・・・

特に、危険性についての説明は恐ろしく、稀ではあるが大小さまざまな後遺症が残る可能性もあるとのこと。
医療は決して100%安全ということはありえず、不測の事態が起こる可能性は極めて小さいながらもゼロではない。
このような不確実性については私も承知していたつもりでしたが、実際に目の前で説明され、それを記した文章を読むと、同意書にサインする手も若干震えてしまいます。

ちなみに後遺症ですが・・・
全身麻酔時に施される気管挿管で、術後三日ほど声がかすれ、また、今でもちょっと喉の奥に痛みが残ってます。
(まあ、これは予想されたことではありましたが・・・)


夜には、主治医からの術前説明をカミさんと一緒に聞きました。
詳細は割愛しますが、なんだかんだで通常の虫垂炎よりも少々大掛かりな術式になること。
麻酔は全身麻酔で行うこと。
術後は一晩ICUに入ってもらうこと

など・・

いずれも入院前に聞いていた内容と同じですが、手術前日に改めて聞くと、それが実感を伴って、重くのしかかってくるようでした。

そして、やはり手術に伴うリスクの説明を受けた上で、震えながら手術同意書にサイン。
もう、好きにして~


夜・・
今日はSさんのいびきも控えめ・・・でも手術前の緊張で、やはりあまりよく眠れませんでした。

つづく

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2014年4月 9日 (水)

病棟の重い現実

昼食が終わると、お風呂。
小さなお風呂ですが、入浴時間内なら誰でも自由に入ることができます。

ゆっくり湯船に浸かり、洗髪もしてスッキリ。
これが温泉ならばさらに良いのに・・など、勝手なことを考えながら病室に戻りました。

「いや~良いお風呂でした」 と、同室の方に声をかけ、ベッドで火照った体を冷まします。

と、病室内で誰からともなく会話が始まりました。
私以外の方は、おそらくは皆60~70代でしょう・・皆さん陽気で話し好き。
だいぶ長期にわたって入院されている模様で、日々の会話は格好の息抜きになるのでしょうね。

雑談・・と言っても、話はやはり各自の病状のことが主な内容になります。
最初は何気なく聞いていたのですが、話が進むに連れ、これは容易ではないことに気付かされました。

もちろん程度の差はありますが、総じて病状は重い。
将来を見通すことが困難な状況であったり、また、将来にどのような状態になるのか予断ができないなど、聞くほどにその深刻さがひしひしと迫ってきます。

返す言葉も思いつかない私は、相槌を打つのが精一杯。
やはり、これが病棟の現実なのだという、とても重い事実を突然突きつけられた出来事でした。

「俺はね~ もう医者から見放されたんよ。 もう治療法はありません、と、はっきり言われたけんね。 ちょっと前に処置されて少し楽になったけど、これも時間の問題でね。  あとどれくらいか分からんけど、もういいんよ。 諦めた。 俺も71歳。 これだけ生きりゃ十分よ。  退院したらね・・安い葬儀屋を探そうと思っとるんよ ハハハハ」

隣のSさんが、陽気に笑いながら言いました。
自分の状況を運命と言って笑い飛ばす・・これが悟りに至った境地の言葉とはとても思えません。
抗うことのできない現実を突きつけられ、その中で終末期をどのように生きるか?

おそらくは、誰もが必ず将来において突きつけられる命題でしょう。
それを模索するのが病室での会話で、明るく陽気に笑い飛ばすというのが、誰ともなく始まった共通のルールであるのかもしれません。

初日からいきなりカウンターパンチを食らったような衝撃を受けましたが、しかし、入院生活が進むに連れ、再発だの、転移だの、ステージⅣだの、5年生存率だのと言った単語が飛び交う会話にも、だんだん慣れていったのでした。

人の適応力ってスゴイ!


その日、初めての病室で迎える夜。
陽気なSさんは、実は大いびきかきでもありました。

(-_-;)

大きないびきに翻弄され、寝不足で翌朝を迎えることになったのでした。


つづく

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2014年4月 8日 (火)

入院

3月26日 入院の日は誕生日の翌日でありました。
あいにく朝から大雨で、10日分の入院荷物を抱えて雨に濡れながらバスに乗り、よたよたと病院まで向かいました。

受付を済ませ、ロビーで待っていると、やはり今日入院だろうという方がちらほら。
皆、大きな荷物を抱え、少しうつむき加減で座っています。

話しかけるような雰囲気でもないし、なんとなく間を持て余していたところ、病棟からお迎えの看護師が来ました。

「栗原さん、お待たせしました、病室へご案内します」


私が入院したのは、地域医療の基幹を受け持つ大きな総合病院。
隣町にあります。

2階建ての外来棟は、どこを歩いていても日光が差し込む明るさ♪
そして、外来棟の西側には、三角柱の形をした9階建ての病棟が隣接しています。

私の病室は4階の外科病棟。
三角形の南側底辺に面した4人部屋でした。

第一印象は・・・広い、そして、景色が良い。
部屋の広さは特筆すべきほどで、通常であれば6人部屋にするくらいの面積だと思いますが、それを4人部屋に仕立てているため、一人あたりの専有面積もかなり広い。

カーテンで仕切っても、ベッドの周りに軽く10人位は入れるだろうというくらいの広さで、伸び伸びした開放感があり、入院期間中ずいぶんと気持ちにゆとりが持てたように思います。

窓からは、我町のシンボルである皿倉山が眼前に迫るように広がっています。
頂上から降り落ちる支尾根の稜線沿いには桜が広がり、ちょうど3分咲き程度の色を纏っていました。
この日は雨のため、色彩も鈍いままでしたが、翌日は快晴で、はからずも病室から特等のポジションで花見を楽しむことができました。

看護師さんからの今後の説明と、オリエンテーションが終り、パジャマに着替えるとあとは自由。
今日は食事制限も、行動制限も無く、何を食べても飲んでも、どこに行っても良いとのこと。
さっそく売店へ・・・雑誌と新聞を買ってきました。

病室に帰り、ベッドで寝転んでパラパラとページをめくっていてしみじみ思いました。
平日の昼間からこうやってゴロゴロしているのって、一体いつぶりだろう?
極楽極楽♪ とひとりごちていると、アナウンス♪

「昼食の準備ができました」

病院食、初体験。
配膳された時の第一印象は、量が多い! ということ。

ちなみに、この日の献立は・・
・焼き鮭
・大根と人参の甘辛炊き合わせ
・酢の物
・サラダ
・豆腐の吸い物
・ごはん
・デザート(りんご)

特に、ごはんは茶碗に軽く二杯程度の量があり、こんなに食べられるのかなぁ と思ったことでした。

味は、決して美味しいとは言えませんが、しかし、それほどまずくもない。
味付けは意外なほど濃い口で、おかげでご飯がすすみました。

満腹になって満足。
上げ膳据え膳で、昼間からごろ寝。
入院ってこんなに贅沢で快適なの?  なんてのほほんとしていたのですが、この後、さっそく大きなカルチャーショックを受けることになるのでした。


つづく

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2014年4月 7日 (月)

業務再開しました

10日ほど臨時休業していましたが、本日より業務再開します。

まずは、休業中にいただいたお問い合わせについて、今から順次ご回答を差し上げますので、どうぞよろしくお願いします。

休業中はいろいろなご迷惑や、ご心配をお掛けして申し訳ありません。
また、休業理由についてのお問い合わせなども何件かいただきましたので、以下記します。

実は、手術のため入院しておりました・・・

事の発端は2ヶ月前の突然の腹痛。
虫垂炎、あるいは憩室炎の疑いで、抗生剤の服薬により寛解していたのですが、その後の経過観察で炎症が完全に治まりきれず、どうも慢性化しているようだとのこと・・・

このまま放置して引き続き様子を見るか?
それとも、憂いを残さぬために外科手術によって切りとるか??

放置した場合、このまま治癒するかもしれないが、しかしまた再発し、急性化するかもしれない。
そうなると、一刻を争う緊急手術になるかも?

切れば症状は完全に治まるが、しかし、手術前後で最低10日ほどの入院が必要。
また、なんといっても開腹手術となるため、体へのダメージは大きく、退院後もしばらくは木工作業は難しいだろう。

(・_・;)

切るか、切らざるべきか?

セカンド・オピニオンまでもらってかなり逡巡しましたが、後顧の憂いを残すよりは、悪い元は早めに断ったほうが良いだろうということで、手術の決断をしました。

さて、このようなときに個人事業は困りますな。
会社なら有給も使えるし、また、自分の代わりも誰かが務めてくれるでしょうが、個人事業はそうは行かない。

とりあえず、入院までの間、納期が間に合うものは極力前倒しで完成させ、発送し・・
大物など、納期的に厳しいものについては、お客様に事情を連絡し、遅れる旨のお許しをいただきました。

10日以上に及ぶ工程の空白は過去に例がなく、その後のやりくりをどうするか頭がいたいこと。
とにかく、入院前はこれらのことに忙殺され、お腹の痛みも忘れるほどでありました。


思えば開業して12年余り・・・
いままでフルスロットルで突っ走ってきたのが、ここに来て突然急ブレーキを踏まれたような感じです。

休むことが罪悪感になっているような、個人事業主に共通する強迫観念に悩まされながらも、いやいや、今まで休みなく走ってきたんだから、これも天が与えた休息の機会と捉えるべきではないか・・と、自分を納得させ、入院の準備万端整えて、予定通り3月26日に入院しました。


と、このような顛末です。
私にとっては初めての入院で、もちろん、初めての手術です。

合計10日間の入院生活は、その全てが初体験で、様々なことがあり、いろいろなことを考えさせられました。

明日からはそのようなことをつらつらと書いてみたいと思います。
木工ブログとは何の関係もありませんが、よろしければお付き合いいただければ幸いです。

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