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2013年12月30日 (月)

喪に服するとは2

日本古来の土着的考え方として、死は穢れと考えられており、これを忌避することが信仰として一般的でした。

時代が進み、土着信仰が神道へと進化し、教義が整理され、洗練されていった後も、穢れの信仰は神道内で受け継がれることになったようです。

神道とは何か?
と言うことには百ほども説があるでしょうが、私なりの理解として誤解を恐れずにこれを一言で言ってしまうと、神道とは清浄であること・・という言葉に集約できるように思います。

ならば、穢れとは清浄の対極にありますので、死者を出した家の穢れた人が、清浄なる神の聖域に立ち入ることは罷りならない・・という考えがごく自然に生まれ、広がり、これが社会常識になっていったのでありましょう。

このため、死者を出した家のものは一定期間喪に服し、服喪期間は神社などに立ち入らず、神道に則った慶事については、これを控えることが形式となり、時代が下るに従って、それらが法制化された。
まあ、明治以降はそのような法は無くなったようなのですが、習慣は残り、それが今に続いているということであるようですな。

とまあ、調べてみると他愛もないことでありました。

死を穢れと見る思想など、現代の価値観に照らすと極めてナンセンスなことではありますが、古代当時の日本社会にあって、死というのは忌避すべきことで、黄泉の国の扉が開くことの恐怖は相当に大きなものであったのでしょう。

その濃厚な原体験が連綿と続き、現代に受け継がれているわけですので、これはこれで良くも悪くも日本人のDNAみたいなものなのかもしれませんね。


以上で、正しいかどうかわかりませんが、私なりに服喪について理解をしました。

穢れ・・・現代の一般社会ではナンセンスなことであっても、神道という古来よりの宗教内においてはその核をなす考え方であります。
その思想を尊重し、それが出来上がっていった古代の日本に少々思いを馳せ、自身の日本人としての遺伝子を感じながら、初詣や正月慶事についてはこれを控えることといたしましょう。
(ちょっと大げさですが・・・)

という訳で、のんびりとした年末でございます。


いや・・・大掃除・・(-_-;)

忙しい年末だ~

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