« 朦朧と | トップページ | 確定申告 »

2012年3月11日 (日)

1年経ちました

あの日から一年が経ちました。

震災当日、午前中は長男の中学校卒業式でした。
昼過ぎに帰宅してきた長男と、カミさんを加えて三人で外食に出かけ、ごく普通の昼下がりを過ごしていました。

食事が終わって車での帰宅中、車載ラジオのスイッチを入れ、いつも聞いている地元の番組を選択しました。
時刻は3時少し前、その時に聞いたアナウンサーの声が、私にとって震災の第一報となりました。

震度6強 との声。
どこやら東北の地方らしい・・

震度6強と言えば、阪神淡路大震災並の揺れのはずで、これは大変だと思い、すぐにスイッチをNHKラジオへ切り替えました。

NHKではすでに地震関連の報道に完全に切り替わっており、各地の震度が次々と報告されていました。

だいぶ広範囲にわたって揺れたみたいだなぁ・・
と、家族で会話しながら聞いていると、次いで入ってきたのが津波の情報でした。

津波警報が発令されていますとのアナウンス。
それを聞いて、昔社会科で習った知識がフラッシュバックされてきました。

三陸はリアス式海岸が多いので、津波の被害が起きやすい・・


津波の高さは、最初は2~3メートルなどと報じられていたように記憶しています。
これが高いのか低いのか? 全く分からないまま聞いていました。

すると、徐々にアナウンスされる津波高さの数値が上がっていき、あれよあれよと思っている間に津波警報から大津波警報へと切り替えられ、また各地の津波到着予想時刻が次々と伝えられるようになって来ました。

アナウンサーの声も心持ちトーンが上がっているようにも聞こえ、緊迫感が増し、ここに来てさすがにこれはただごとではないかも・・と、言い知れぬ不安に襲われたのを覚えています。


帰宅してすぐにテレビのスイッチを入れました。
NHKの画面は、海岸の定点観測カメラでしょうか? そこからの固定映像を流していました。

それを見るかぎり、画面から特に変化は確認されず、まあ、あまり大したことはなさそうだな・・などとひとりごちていました。

しかし、まだ津波の到着時刻には早い。
変化のない画面ですが、そこから目を離すことはできません。

すると・・

少しずつ、本当に少しずつ水位が上がっていくのが映し出されます。
そうなんです、最初は本当に少しずつ・・という感じでした。

しかし、やがてそれは加速度的に増し、水の流れは剛流、あるいは奔流というべきか・・圧倒的な圧力で流れこんできます。

車が、流されています。
定点なので、流される先はわかりません・・・
しかし、目の前を左から右へ、次々と車が流れ去っていきます。

右側に写っている高架道路は高さ10メートルほどもあったのでしょうが、いつの間にかその橋桁の真下まで水位が迫っていました。

何が起きているのか?
目から映像は入ってくるのですが、おそらく脳がそれを処理できていない。
全くの非現実・・・一体何が起きているのか?

そこでカメラが切り替わりました。
上空からの映像・・ 広い平野を撮影しています。

川が流れており、そこを水が逆流しています。
上空からなので水位はよくわかりませんが、やがてそれが堤防を乗り越え、田園地帯へと拡散していきます。

カメラは高度を下げ、それにともなって細部がリアルに伝わってくるようになりました。

家が・・・・のみ込まれている。


ここに至って、初めて自分の中で非現実が消滅し、顔がほてり、足が震え、画面に向かって叫んでいました。

「逃げろ・・・逃げてくれ・・・たのむ」


それが3月11日のことでした。

その日、ここ北部九州は極めて穏やかな天気で、卒業式日和だね などと言っていたものでした。

そして、こちらではその穏やかさは一日中変わらず、ただテレビ、ラジオ、そしてインターネットからの狂乱とも言える情報に翻弄されるばかり・・・
平穏さと、画面に映し出される映像との鮮やかな対比は、得体のしれぬものに蹂躙されるような底の知れぬ恐ろしさを感じさせ、いったい日本はどうなってしまうのだろう? と、生涯初めて本気にそんなことを考えていました。


あれから一年。

この一年をどのように捉えるのか、それはひとりひとりすべて異なることでしょう。
生涯忘れられない3.11 それを改めて考えてみたいと思います。

黙祷

|

« 朦朧と | トップページ | 確定申告 »

言いたいことなど」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 朦朧と | トップページ | 確定申告 »