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2010年4月 4日 (日)

脱ゆとり3

情緒はそれを表現する言葉によって磨かれる。

日本語の表現は、まさに豊穣。
例えば、雨を表現するとき、ざっと挙げても以下のような言葉がある。

 霧雨、小糠雨、小雨、時雨、俄雨、天気雨、通り雨、大雨、豪雨、雷雨、風雨・・
 春雨、五月雨、夕立、狐の嫁入り、氷雨、慈雨 等々
  (参考 wikipediaより)

これらはまだ一例に過ぎず、雨の表現はまだまだある。
これほどに日本語は豊かな表現を持っている。

これら言葉の一つ一つで、雨に対する印象はずいぶんと変る。

雨を見て感じる気持ち、それが言葉によって表現されることで、よりその印象は鮮烈になり、深く心に刻まれる。
細やかな情緒は、豊かな言葉によって育まれる。

雨一つを取ってみても、これほどの表現ができる日本語を持った幸せを、私達はもっと感じていい。


細やかな情緒は豊かな感情の母体となり、それが人を思いやり、理解することのできる感受性を育む。

また、情緒を表現する語彙を豊富に持つことで、自分自身を外へ向かって伝えることができる。
自己表現ができることは自信につながり、自ずから背筋がピンと伸びるようになるだろう。

これこそが、生きる力 の源泉ではないだろうか。


全ての源、それは国語力だ(あえて言い切る)

この国語力を、教科書丸暗記という荒療治で徹底的に叩き込んでくれた先生には本当に感謝の気持ちでいっぱいである。

今年、定年で退職されたが、薫陶を受けた児童の父兄が集まり、謝恩の会が開かれた。
ゆとり教育にあって、厳しい授業を受けることのできた我が息子達は、幸せだった。

(暗記のときは、涙目になっていたが・・・)


つづく

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コメント

たびたび登場して、すみません。
 シンプルさん、内容も時数も、増えたのですよ。
 ただ、土曜日授業を復活させる、公立小・中学校は、少ないようですが・・・。
 時数が増えても、それを教える先生たちの力量がともなっていなければ、何もならないと思います。
 シンプルさんのお子さんは、とてもいい先生に恵まれ、うらやましい限りですが、すべての先生たちがそうかと言うと、かなりあやしいという感想をもっています。
 あやしい先生に当たり、学力が身に付かなくとも子どもたちは進級し、卒業し、社会に出て行く。
 先生たちも、公務員と言う立場で、減法・処分されることもない。
 試験勉強も同じでしょう。
 ただ、だらだら長時間、勉強していても、身に付かないお子さんは沢山います。
 時間もある程度は大切ですが、根本は中身です。
 立ち上がってくれる、気概のある教師が、どれくらい存在するかにかかっている気がします。
 
 
 

投稿: シナモン | 2010年4月 5日 (月) 05:55

ご指摘のように、授業時間も少し増えるようですね。

歓迎すべきことですが、週5日制を維持すると言うことは、平日の授業コマ数を増やすか、授業の単位時間を増やすと言うことになるのでしょうか?

逆に集中力をそぐことにならないか? などと思ったりもします。


確かに、我が息子達は先生に恵まれていたのかもしれませんね。

ただ、先生も人間である以上、その力量にばらつきがあるのは仕方のないことですので、それを見越して、親としても積極的に教育に関わっていく必要があるのかなと思っています。

と言っても、学校にクレームをつけたり・・というモンスターペアレント的なことではありません。

知識以前に、例えばどうして勉強をしなければならないのか? など、こどもであれば誰しも必ず抱いているであろう疑問に対して明確に答えてやる。

そのような、根源的な思想について、きちんとその土台を作ってやることが親の使命ではないかと思ったりします。

教育は・・・難しいですね。

投稿: 栗原@simple | 2010年4月 5日 (月) 23:39

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