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2009年8月11日 (火)

原爆の日に思う4

戦争に至った経緯、背景、そして原爆投下の理由など、どうしてそのことが語られないのか?
考えてみると、とても奇妙なことだ。

戦争について、歴史的検証と総括がされていないとの声を良く聞く。
そうなのだ、これは教育現場のみならず、国民全体としてあの戦争の意味を最大公約数的に共有することが未だになされていない。

これは歴史認識の中でも最もその評価が難しく、デリケートで、取り扱いによっては発火する恐れがある厄介な命題だ。

左右イデオロギーに、ナショナリズムが絡まりあい、冷静な分析を拒み続けている。

不幸なことだ。


歴史に学ぶ、とは・・
その時々の視点に立ち、どのような背景のもとに決断や判断が下されたのか、それを論じ、その中から普遍的な原理を導き出すことだと思う。

今、NHKで検証番組を放映している。
海軍軍令部を通して、あの戦争を検証しようと言う試みだ。

その結論としては、いわゆる場の空気の存在。
一度転がり始めると、もはや誰もそれに対して反対ができない、そのような空気の存在。
圧搾空気のように、それに押されてどこまでも進んでしまう。
そして、責任の所在は曖昧となり、分散し、霧消する。

と、総括していた。

どうだろう?
今、これと全く同じことが官でも民でも日常的に起こっているではないか!

これを、組織がもつ生理現象として、一つの原理として結論するならば、少なくとも我々はあの戦争から何も学んでいないことになる。


戦争は二度と繰り返してはならないと言う。

そのためには・・
まずは会社でも地域社会でも、いや、家庭でも・・
小さなコミュニティーにおいて、場の空気に対してまずは正しいことをきちんと言い、行動する。

それが、最も大事なことなのではないかな。

原爆の日に思う。
正しく 歩む。


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言いたいことなど」カテゴリの記事

コメント

私が中高生の頃、歴史の授業といえば教科書の朗読と年代暗記の時間であり、それはそれは退屈なものでした。受験には関係ないし、歴史の先生はたいていがやる気のない教師だったという印象があります。

先の戦争をした理由。
原爆を落とされた理由。
現代の日本人がそれを知らないのは学校の授業で教わらないから。それは正しいと思います。
では、なぜ教わらないのか、教えないのか。
たしかにデリケートな問題であり、現代の日本において正しく語るのは恐ろしく難しいと言えます。
語るのが困難、ならばその前にまずは知ることから始めねければならず、そのうえで身近なコミュニティーの中で正しい事を論じ合う。大人になり、朗読と暗記の授業から解き放たれて自分で勉強しなおし、深く知ることで、あの戦争を始めた理由を正しく理解できるのだと思うし、それが「場の空気」に抗える唯一の方法と言えるのではないでしょうか。

投稿: パートシュクレ | 2009年8月12日 (水) 11:35

コメントありがとうございます。

私自身、自分なりにいろいろと調べ、そして考えてみても、未だにあの戦争というものを捉えることができずにいます。

もやもやとして、奇態な軟体動物のようにとらえどころがなく、いろいろな顔を持ち、近づいてくるものをあざ笑うかのようです。

これにおいて、イデオロギーというのは便利なもので、このフィルターを通して覗いて見ると、実に単純に、あるいは機械的に総括することができます。

右も、左も・・
いわゆる○○史観と称されるものは、大なり小なりイデオロギーが侵食しており、その結果は単純な善玉悪玉二元論に陥りがちです。

今の日本の歴史総括がこのような状態ですから、確かにこれを教育現場に持ち込むのはかなり無理がありますし、また、やるべきではない様にも思います。

また、戦争や原爆の背景も、その深層に近づくほど事の重さはその重量を増していきますので、小中学生にそれを伝えることもためらわれます。

このあたり、ジレンマですね~

でも・・
高校生くらいになったなら、歴史認識についてはいろいろな立場からの論があること、それをありのまま伝えても良いような気がしますね。

それら百論の中で、彼ら自身が議論などを通じて理解を深めて行ってくれるんじゃないかな?

場の空気についてはKYなんて言葉があるくらいですから、今でも変らず日本社会を覆いつくしているようです。

パートシュクレさんの言われるように、まずは知る、そして議論する、その中で自身の意見を確立すると同時に、他人の意見を尊重すること。

これら、民主主義の基本ともいえますが、それをきちんとやること、やれることが場の空気をコントロールし、軌道を正しくする唯一のことでしょうね。

まずは家庭から・・
子供たちにそれを伝えることが我々の義務のように思います。

投稿: 栗原@simple | 2009年8月12日 (水) 23:46

家庭の中から知識を深める・・・
私の父は敗戦時17歳、あの戦争についての話を彼の口からほとんど聞いたことがありません。もともと寡黙な性格ですが、こちらが話を振っても多くを語りません。間接的に聞くところによれば疎開生活と物不足で人並みに苦労はしたらしいのですが・・・
彼の口が重いのは寡黙なだけではないように思えて仕方ありません。

自分の息子はまだ歴史のレの字も知らない歳、「おとうさん、日本はなんで戦争したの?」
いつかこんな質問をされた時どう答えれば良いのか私自身非常に悩むところですが、彼自身の答えの手助けになる何かしらヒントでも与えられれば、と思ってます。
それと、学校の歴史の授業は現代史までキチンとやって欲しいですね。

投稿: パートシュクレ | 2009年8月13日 (木) 00:45

連休中留守にしており、コメント遅くなりました。

私の親父は、敗戦時には7歳。
すでに鬼籍に入っていますが、やはり生前は戦時中の話はほとんどしませんでした。

ただ、年齢を考えると、物心ついたときが戦時中となりますので、大局的な情勢などは知るべくもなかったでしょうね。

時おり話していたのは戦後のこと・・
食糧不足、飢えていた頃がトラウマとなっていたようです。

このため、自宅には必ずお菓子などが常備されていました。
目の前に、食べ物がなくなることが不安で仕方ない・・と言ってました。


想像ですが・・
戦争を経験した人たちは、やはりその忌まわしい記憶が脳裏にこびりつき、それに対する嫌悪感が支配していたのかもしれません。

できるだけ、思い出したくない。
そのような背景があったようにも思えます。

私の祖父も従軍し、彼の地で銃弾に打たれ、その後遺症で生涯足を引きずる身となりましたが、やはりその体験を生涯語ることはありませんでした。

好々爺・・だったのですが、果たして中国戦線で何があったのか?
それは、もう誰にも分かりません。


我々の世代が、いかに子供たちに戦争のことを伝えていくのか?
これほど難しく、途方もない作業もないように思います。

今、一般的な歴史認識は、軍部の暴走・・
特に、陸軍参謀本部の統帥権干犯が最大の元凶とされる見方が支配的です。

それはそれで確かなことでしょう。

が、戦前当時の不況による鬱屈した空気。
それが、開戦を契機に突然明るくなったような雰囲気が支配した・・なんて事を日記につづっている作家もいたりします。

つまりは・・空気。
その当時の空気がどのようなものだったのか?

大東亜共栄圏という幻を追いかけたのも確かなことですが、反面、米英による日本へ対する吐き気がするほどの外交圧力。

そして、原爆投下の恐るべき非人間性。

世界が集団的狂気に陥っていたとしか思えないような混沌。

考えれば考えるほど分からなくなる。

善玉、悪玉などというくくりでは絶対に説明できない政治・外交の沸騰が圧搾空気となり、国をして戦争へと推し進め、破滅へ導いた。

それをどのように子供らに伝えるべきか?

いや、それ以前に、自分がこれをどのように総括すべきなのか?


親父にもっと聞いておけば良かった・・
と、最近思ったりします。

投稿: 栗原@simple | 2009年8月16日 (日) 23:28

歴史を勉強して事実を知ることは容易いけれど、当時の「空気」を正確に知ることは難しいでしょうね。自分がこの時代の空気の中で生きている以上、それに抗うことが困難であるのと同時に、当時の人にとっても難しかったことでしょう。
戦争責任、イデオロギー、歴史認識、巷ではいろんな人が書物が様々な考え方を提示してますが、当事者である近親者の言葉ほど重みがあるとは思えません。その意味では父が生きてるあいだに何かしら言葉を聴けたらと思ってます。
ちょっと勉強したくらいじゃ、自分ごときがあの戦争を語るなどおこがましくてとても出来そうにありませんから。
今年の夏は選挙一色のようで、ある政治家が言うには未来の日本を考える8月だそうです。けれどその前に過去の日本ももっと考えて欲しいですね。

投稿: パートシュクレ | 2009年8月19日 (水) 02:27

おっしゃる通りですね。

空気というものは厄介なもので、故山本七平は、「空気の研究」なる本を著しているほどです。

これ、結構面白い本なので、興味があればご一読ください。
文庫本になってます。

山本氏によると、空気の圧力を抜く為には「水を注す」ことが必要だとか・・

会社の会議などでも、議論が白熱し、だんだんその向かう方向がおかしくなってきたようなときにあえて休憩を入れ、白熱に水を注すことによって軌道を戻そうとすることが有効だったりしますね。

お客様との打ち合わせでも、時々同じようなことがあったりします。

自身が熱を帯びているときは、自己を客観視することができなくなり、知らず知らずのうちにおかしな方向へ進んでいる。
これが集団になると、まさに集団的な狂気となり、果ては国まで滅ぼしてしまうことになるのでしょう。

近親者など、当時のことを聞けるのであればそれに耳を傾け、その時々の空気がどのようなものであったのか? 
分からないまでも、それに想像をめぐらすことが現状に対してプラスのフィードバックになると信じます。

歴史に学ぶ・・
その本当の意味を考えていかねばならないでしょうね。

投稿: 栗原@simple | 2009年8月20日 (木) 00:10

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