おくりびと4
告知。
その瞬間まで、果たしてこれをどのように告げるべきなのか?
迷いに迷い続けた。
親戚一同が私の言葉を待っている。
・・・
・・・
検査結果は・・・
病名は正確に告げた。
ただ・・すでに末期に近いこと・・それだけはどうしても言うことができなかった。
父は、最悪の事態を覚悟していたらしい。
が、私の言葉を聞いて、ほっとした表情を見せた。
これで良かったのか?
親戚一同も、とりあえず安心したようだった。
本当にこれでいいのか?
その後、親戚一同が祖母への寄せ書きを書いた。
色紙に記し、納棺する。
父の言葉・・
「お袋の分まで生きてみせる」
親戚一同の中で、自分だけがその真実を秘めている。
その重圧に押しつぶされそうになった。
そして、一年後。
病院のベッドで、父は息を引き取った。
奇跡は・・・起きなかった。
死の直前まで、私は結局父に真実を告げることはできなかった。
が、父は気付いていたらしい。
死の少し前、「お前も辛かったんだろうな・・」と、告げられた。
その後、葬儀の準備などに忙殺され、気がつくと父は看護婦によって清浄され、葬儀屋によって納棺されて自宅に戻っていた。
真実を父に告げられなかったこと。
そして、祖母の時のように、湯灌や納棺の儀を自分の手で行えなかったこと・・
それが、今でもかすかな後悔となって心に残っている。
おくりびと・・
この映画の評判は、ラジオなどでいろいろと聞いた。
見に行きたいと思う反面、見てしまうとあの辛く孤独な日々を思い出してしまいそうで、それが怖かった。
が・・・
やはり見に行こうかな?
親父の死は見事だった。
死生観、私もそんなことを考え始める年齢になったのかもしれない。
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コメント
親の死はいろんな形で堪えるものですね。
自分は母を病気で亡くしてますが、死んだのは私が小2の時。
物心ついて間もない頃だったせいか、あまり堪えるという感覚は無く、成人してからの方が何かと心乱される事が多いですね。母の記憶といえば病院のベッドで微笑む顔だけという事実に、例えようの無い寂しさを感じることもしばしば。
父もいつ死んでもおかしくない歳になり、自分では心の準備は出来てるつもりでも、やはり父親の存在の大きさは死んで初めて感じることになるのでしょうね。
おくりびと、観たいけれど、まともに観れるかどうか・・・
投稿: パートシュクレ | 2009年3月 1日 (日) 00:37
パートシュクレさん
人は必ず死ぬ宿命とは言え、やはり近しい人との別離は堪えます。
私の父は、最終末には病院のベッドで、点滴と排尿用のカテーテル、そして痛み緩和のモルヒネと、管につながれた状態でした。
最期を看取ったのは母でしたが、連絡を受けて病室に駆けつけたときは、全ての管がはずされ、髪を梳かれてさっぱりとした表情でした。
その姿が、未だによみがえってきますね。
父の存在の大きさ・・
確かに、死後それを感じます。
私の場合、子供の教育で悩んだときなどに親父に相談したいな~とよく思いますね。
今は、もし親父だったらこのような時どのようにしただろう? と、想像しながらやっています。
「おくりびと」
見るべきか? 見ざるべきか?
・・ちょっと難しい選択です。
投稿: 栗原@simple | 2009年3月 2日 (月) 09:53