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2009年2月26日 (木)

おくりびと2

父は、数ヶ月前から体調を崩していた。
入院しての精密検査、そんなバタバタしたときに祖母の訃報が届いた。

訃報は、検査結果が判明する前日のこと・・
父は、自分の検査結果を聞くことなく、ただちに外出許可をもらって祖母の枕元に駆けつけた。

その代わりに、私が結果を聞き、後追いで祖母のもとへいる父へ伝えに行く段取りであった。


病院へ・・
検査結果は、不治の病とのこと。
すでにかなりの進行が見られ、この後は緩和ケアを重点におくことになる旨の治療方針。
余命は・・一年は厳しいかもしれない由。

病院を出たときに、周囲の景色から色彩が失われてしまったように思えた。
砂浜を歩くように足が重い。

しかし、行かなければならない。
祖母の葬儀にも、そして、祖母のもとにいる父へ検査結果を伝えるためにも。

夜の新幹線。
車窓から飛び去る町の灯を見ながら、これをどのように伝えるべきか?
それを考えていた。

父の具合が悪いことは親戚中の関心ごとにもなっており、もちろん父のみならず、祖母の枕元に集まっている親戚一同も私の報告を待っているはず。

新幹線はひたすら走り続ける。
このまま、永久に走り続けてくれないか・・そう思っていた。

つづく

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つぶやき・独り言」カテゴリの記事

コメント

 私も、数年前に、実母を癌で亡くしています。
 その余命を知らされたときの、思い。 
 >病院を出たときに、周囲の景色から色彩が 失われてしまったように思えた。
 砂浜を歩くように足が重い。
 まさに、栗原さんがおっしゃるとおりの、状況に陥りました。
 周囲の声さえも、遠くで聞こえているような、意識が薄いような・・・。 
 でも、母がなくなって、初めて、自分が大人になった、長い子ども時代を卒業した感じがしています。。。
 まだまだ、母の子どもでいたかったですが・・。
 昔は、親が亡くなるのが早かったですから、今より、若者は、早く大人にならざるをえなかったのでしょうね。
 40歳を超えると、身体も衰えを隠せず、親も弱り、私も、死生観がよぎります。。。。
 


 

投稿: シナモン | 2009年3月 1日 (日) 06:56

シナモンさん・・
そうですね、私も医者から結果を告げられたときは、周りの景色から薄紙一枚隔てられて、隔離されてしまったような思いがしました。

頭の中でその事実を理解することができず、混乱していたように思います。

足は、ふわふわのスポンジの上を歩いているようで、バランスをとるのが難しい・・そんな状態でした。

親が亡くなって子供時代を卒業する・・
そうですね、確かにそのように感じることがあります。

父と息子の関係ですので、生前はあまり会話をすることもなかったのですが、しかしいつも父の背中を見、足跡を辿っていたように思います。

さほど話をしなくても、そこにいるだけで大きな支えであったことは間違いなく、それを無くしたときに、初めて自分自身の足で歩くことを強いられる思いがしました。
それが、子供を卒業するということなのかもしれませんね。

父は61歳でこの世を去りました。
時は流れ、私もその歳まであと15年余りとなりました。

父の享年に近づくにつれ、死生観というようなものをだんだんと考えるようになってきました。

「おくりびと」は、それを改めて思い知らされるきっかけとなり、私にとって。とてもタイムリーな映画です。

でも、まだ見てません・・

う~ん、まだそれらと正面から向き合うのが怖いのかもしれません(意気地なしです)

投稿: 栗原@simple | 2009年3月 2日 (月) 10:04

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