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2009年1月31日 (土)

白洲次郎

どういうわけなのか、ここのところ白洲次郎が話題になっている。

まあ、今の政治状況を見ていると確かにね
国会中継を見るにつけ、ここは学級会なのか? と思うこともしばしば。

いや、学級会の方がレベルは高いかも??


私が白洲次郎を知ったのはもう20年ほど前のこと。
まずは、その容姿に魅了された。

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今まで、これほどカッコいい日本人がいたのか?
びっくりしたのを覚えている。


白洲次郎
敗戦後の日本を背負った男。

吉田茂の懐刀としてその手腕を発揮した。

占領下の日本。
GHQをして、唯一従順ならざる日本人 と言わしめた男。

「日本は降伏はしたが、奴隷になったわけではない」
と言い、日本人の誇りを見せつけた男。

天皇からの贈り物をマッカーサーに届けたとき・・
「その辺に置いておいてくれ」とのマッカーサーの言葉に激怒!
「陛下からの贈り物をなんと心得るのか・・」と、一喝。

マッカーサーを叱り飛ばした男としても有名だ。


同様に、カントリー倶楽部で横槍を入れてきた当時の某首相をも一喝。
「この倶楽部は、特別扱いはみとめねぇ」


サンフランシスコ講和条約のこと。
吉田茂のスピーチは外務省の官僚が作成した。
それは、英文によるもの。

それを、日本語に書き換え、しかも墨書きの巻物にして吉田に日本語で読み上げるように進言したのも白洲だ。


このように激しい気性の反面、自身が理事長を努めるカントリー倶楽部の従業員などには本当にやさしかった。

えらくなったら、役得ではなく、役損を考えろ! と、時の経済人へ言い続けたと言う。


この他にも、彼のエピソードは枚挙にいとまがない。

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日本を風のように駆け抜けた男。
風の男、白洲次郎。


政治も、経済も、惨憺たる状況にある今。
白洲次郎の生き方は、綺羅星のように輝いて見える。

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2009年1月30日 (金)

フル回転

風邪を引いている間、胃のむかつきが強く、満足に食事を取ることが出来なかった。
その為・・図らずもダイエットに♪

マイナス1.5キロ。
少しからだが軽くなったような感じがする。

さあ、フル回転で仕事、仕事、もひとつ、仕事。

やはり体調が良いと気力集中力も漲ってくる。
製作スピード、1.2倍・・くらいかな?


集中するとおなかがすいた。
ようやく食欲が戻ってきた。

食事が美味しく感じられるのは幸せだ♪

だが、問題が・・・
・・
そう、リバウンド。
気をつけなければね。

用心のために中止しているジョギングもボチボチはじめるとするかな。

さあ、フル回転だ。

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2009年1月29日 (木)

バカ猫

このブログのコアな読者の方ならばご存知と思うが・・

我が工房の周囲には、バカ猫が生息している。
先日数えたら、10匹ほどたむろしていた。

近所にマンション建設予定地があり、そこを根城にしているようだ。
また、悪いことに、そこで餌をやっている人がいるらしく、そこの広場は猫のワンダーランドのようだ。

で、この野良猫たちが町内の路地から路地へと徘徊する。
我が工房も、その通り道に当たっているようだ。

工房前の材木置き場は風除けにちょうど良いのか?
材の隙間に入り込んだりして暖をとっている。

それだけなら問題はない。
が、こやつら、時々路地や工房前にフンをする。

このバカ猫め!!!


この対策について、今までにもいろいろと試してきたがどうもダメ。
これらの顛末は、今までにも何度かブログに書いて、その都度コメントなどで対策方法もご教示いただいたが・・
やはり・・ダメ。

コメントの中には「空気銃で撃てばよい」なんて過激なものもあったが、さすがにこれは出来ないわね。

さて、今回の方法。
どこやらでカミさんが聞いてきた方法。

コーヒーの粉が効くらしい・・??

ホントかね?

とにかくやってみよう、と言うわけでせっせとコーヒーを淹れ、だしがらをパックにあけて乾燥させる。
これを繰り返し、ひと月ほどかけて大量のコーヒーだしがらを溜めた。

これを、通り道にまく。

細工は流々。

さて、効果は?
作業を終えて、材木置き場を振り返ると・・
・・・同じところに、寝そべっている・・・

さては、別の通り道があるのかな?

と思っていたら、もう一匹がやってきた。
ナント・・そのコーヒーがらの山を堂々と踏んづけながら歩いてくる。

・・・・・
・・・・

バカ猫との戦いはまだまだ続く。

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2009年1月28日 (水)

通常業務へ

ようやく8割方回復。
本日より本格的に通常業務へ戻る。

業務再開の第一弾は、打ち合わせ。
お客様をお迎えしてあれこれと。

この打ち合わせは以前から決まっていたもので、体調が回復してよかった。

今日はよい天気。
が、明日からはまた崩れるらしい・・

打ち合わせが終って考える。
さて、板剥ぎをするか? 写真撮影をするか?

いずれも天気の良い日が都合が良い。

検討の結果、撮影をすることにした。
家具を積み込んで、久しぶりに門司港まで走る。

いや、気持ちがいいね♪


ところで、体調はほぼ回復したのだけれど、食欲が戻ってこない。
別に、消化不良を起こしているわけでもないし、食べようと思えば問題なく食べられるのだが、食事前になっても空腹感が襲ってこない。

なので、三食は義務でとっているような感じ。

味覚も変わっていないのだが、食欲がわかない食事とはどうにも味気ない。

これも含めて、はやく完全回復と行きたいもんだね~

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2009年1月27日 (火)

再開

いつまでも休んでいるわけにも行かないので、ぼちぼちと作業再開。

幸い体調は回復傾向。

頑張りましょう!

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2009年1月26日 (月)

ダウン2

引き続き・・・

今日もダメ。

風邪そのものの症状はたいしたことないのだが、胃のむかつきはどうにも閉口。

ここ数日満足に作業ができず気ばかり焦るが、やはり無茶は禁物。
怪我したら大変だもんね~

さて、明日は?
何とか回復して欲しいものだが・・

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2009年1月25日 (日)

ダウン

風邪も終息したと思っていたのだが・・

甘かった。

昨日から発熱、嘔吐感・・
インフルエンザではないようだが・・・

このような状態なので、お問い合わせやコメントへのご回答、少しお待ちください。

スミマセン。

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2009年1月23日 (金)

安上がりの幸せ

私の工房は自宅の敷地内にあるため、通勤というものが無い。
なので、一旦製作にかかればゴミ出し以外で敷地から出ることはなく、工房引きこもりの状態が何日も続く。

そして、この状態に慣れてしまうと外出するのが億劫になってしまうのだ。

だが、浮世のこと、引きこもったままで済むはずもなく、今日は外出して溜まっていた諸々のことを処理した。

納金、出金、発送、買い付け、情報収集(立ち読みのこと)など・・・
億劫なのに、一旦外出すると引きこもりの反動が出て、ついつい余計なことまでしてしまうから始末が悪い。
そんな時間があるなら、仕事しろ!(心の声)

さて、外出のもう一つの楽しみは・・外食♪
今日はお気に入りのラーメン屋さん。

今日は寒波で、時折雪交じりの北風が吹き付ける。
このような日に、ジャケットの襟を立てて震えながらお店に入って、暖かいラーメンを啜るのは至福のひとときだ。

しかも、このお店、ナントいまどきラーメン一杯350円也。
平成の良心、いや、奇跡と言ってよい。

満足して帰宅。
その後、製作。

明日はこの冬一番の寒波らしい。
さて、明日は? ・・ うどんかな?

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2009年1月22日 (木)

響マラソン

昨日風邪気味だったが、幸い鼻風邪程度で終ってくれたようだ。
今日はバッチリ。

いつものジョギングへ GO!

今日は冷え込みもきつくなく、快適に走ることが出来た。
ジョギングを始めてもう1年と数ヶ月が経過し、完全に日課になったようだ。

目的も、当初のダイエットからストレスと運動不足の解消へとシフトしている。
最近は、息子の方がはるかに速くなってしまって、ついて行くのが結構大変。


ここらでいっちょう・・と言うわけで、春の響マラソンにエントリーしてしまった。
マラソン・・・と言うにはかなり大げさで、距離は最低の3キロ。

まあ、いいじゃない。
最初はこの程度で様子を見ることにしよう。

さて、目標が決まれば日々のランにも気合が入ると言うもの。
春に向けて頑張りますよ。

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2009年1月21日 (水)

まずい

まずい・・

ここのところの冷え込みで、ちょっと風邪をひいたかも?

と言うわけで、今日は寝ます。
皆様、おやすみなさい。

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2009年1月20日 (火)

う~ん

設計の日。
ここのところ、ちょっと面白いお問い合わせが続いている。
注文家具ならではの楽しさだわね。

が、面白いと言うことは、今までにやったこともなく、見た事もないような構造のことなので、それはそれで考えるのが大変。

アイデア出しの苦労は今までにも散々経験し、このブログでも書いてきたことなのだが、こればっかりは画期的な処方箋が無いねぇ~
その道の専門家に言わせると、日ごろから折に触れて考えて、考えることを習慣化しておくとアイデアが出やすくなる・・とのことだが、全然その境地には達してない。

と言うより、一日の終わりには焼酎飲んでぼへぇ~っとしているので、こりゃダメだ。

さっき風呂に入っているときにひらめいたのだが・・・
改めて考えてみると、どうもいまひとつ。

で、息抜きにこのブログを書いている。
息抜きにつき合わされている皆様、スミマセン。

う~ん、どうするかな?
・・・

う~ん。

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2009年1月19日 (月)

失態

ネットコミュニケーションは難しい・・

ホームページがきっかけのお問い合わせなどは、やはりメールが主体となる。
気安く文書が交換できるのがメールの良いところだが、顔が見えないままのコミュニケーションとなるので、勘違いなども起きやすい。

だが、ホームページを立ち上げてからもう6年以上も経過し、この間多数のメールコミュニケーションで鍛えられてきたので、だいぶこれらの機微にも慣れてきたつもりだったのだが・・

失態をやってしまった。

慣れからくる驕りだったのかもしれない。

しかし、一度やってしまった失態を取り返すことは出来ない。
猛省の上、たるんでしまった緊張感を引き締め直さなければならない。

そう思った日だった。

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2009年1月18日 (日)

チェ

「チェ 28歳の革命」を観た。

チェ ゲバラ。 
キューバ革命でカストロの片腕となった男。

革命のアイコンとして、Tシャツにプリントされたり、刺青を入れたりする者もいる。
その波乱万丈の生涯はきわめてドラマチックだ。

かつて、キューバ革命や、カストロ、そして社会主義など、それらの単語は西側に対立する思想として忌み嫌われるもののように摺りこまれてきた。
私も、漠然とであるが、カストロ=悪人 のように思っていたものだ。

しかし・・・
今改めて考えてみると、これらの記号化されたような文句は、全てアメリカ経由だったのだな~

資本主義は、その背後にプロテスタンティズムの職業倫理があるなんてことが言われていたが、しかしその本質は時の経過と共に形を変え、倫理は拝金主義とエゴイズムへ変貌し、うわべはにこやかな顔をしつつ、あらゆる物を搾取しながら肥大化する新手の帝国主義と考えるのが妥当だろう。

そして、それは未だに変わらないばかりか、今に至ってさらにその牙を鋭くしている。


ゲバラに興味を持ったのは、「モーターサイクルダイアリーズ」という映画を観てからだ。
これは、確かロバートレッドフォードがプロデュースしたのじゃなかったかな?
ゲバラの若い時のエピソードを描いた映画だ。

ゲバラ・・アルゼンチン人の医師。
その彼が若いときに、友人と二人で一台のオートバイに乗り、南米各地を放浪する。
その旅の中で貧しいものがあふれる社会の現実を目の当たりにし、次第にマルクス主義へと傾倒していく。

その後、カストロの片腕としてキューバ革命を起こし、社会主義革命成就後は閣僚としてキューバを統治。
閣僚でありつつ、事務が終った後は自ら工事現場に立って土を運んだと言う。
(ドコカノクニノカクリョウサンタチモチョットツメノアカヲセンジテノンデモライタイヨネ)

しかし、その歯に衣着せぬ言動がソ連の逆鱗に触れることとなり、このままだとカストロに迷惑をかけることになると悟った彼は、別れの手紙を残しキューバを去る。

その後、アフリカ南米のボリビアへ行き革命を企てるも、捕らえられて処刑。
その模様が、少し前の月刊プレイボーイに克明に記されていたが、震えるほどにドラマチックだ。

私は思想やイデオロギーに全く興味はない。
でも、世の中の矛盾に疑問を持ち、それを変えるべく行動を起こした人間にはめっぽう弱い。
時代が沸騰したときには、やはり人物が出るのだね。


さて、チェ 28歳の革命は、キューバ革命がその舞台、今封切り中。
これは二部作となっており、次作 「チェ 39歳別れの手紙」は、カストロのもとを去ってからボリビアで最期を迎えるまでが描かれている。

これは、来月封切り。

映画はわりと淡々と描かれているので、その時代背景を知らないと退屈かもしれない。
でも、主演のベニチオ・デル・トロは、ゲバラそっくり(驚)
ゲバラは、きっとこの通りだったに違いないと思えるほど・・その霊魂が憑依したようだ。

興味ある方は、是非映画館へGO!
そして、その前にレンタル屋さんで、モーターサイクルダイアリーを見るとさらに感動は深いかも?
これも、しみじみと良い映画です。

革命とは、愛だ!

チェ ゲバラ。
その魅力は、さらに深くなっていく。

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2009年1月17日 (土)

備えあれば

阪神淡路大震災より今日で14年。
時の経つのは早い。

地震は1月、3月は地下鉄サリン事件、そして9月に長男が生まれた。
未だにわが息子は、お前が生まれた年は最悪の年だった・・と事あるごとにいわれている。

その時、私はまだ会社員で、木工で独立するなど夢想だにしていなかったころだ。
当時は、ラジオ付き目覚まし時計を使っていた。
起床時刻にNHKのラジオが鳴る仕組みだ。

「あた~らし~い~あ~さがきた。 きぼ~うの~あ~さ~だ~♪」
が、毎日のこと。

その日、夢を見た。
地震の夢だ。

なぜか、自分が地震の中で右往左往している夢。
ふと気付くと、枕元でラジオが鳴っている。
いつものラジオ体操ではなく、なにやらアナウンサーがしゃべっている。

それが、私が聞いた第一報だった。

おそらく、夢うつつに放送を聴いており、それが地震の夢を誘発したのだろう。

ともあれ、飛び起きて階下へ降り、テレビをつける。
画面に民家が大写しになる。
住民が路上に出て不安げな顔をしている。
しかし、どこにも地震らしき兆候は無い。

カメラクルーも必死だったのだろう。
ラジオから次々と入ってくる情報に映像が全く追いついていなかった。
それほどに混乱していたのだ。

地震は他人事ではなかった。
わが社の神戸の工場は、液状化現象で操業停止に追い込まれ、取引先の営業部長は地震直下で直撃を受けた。
後日、話をする機会を得たとき、軽いPTSDに陥っていたようで、別人のように思えたのを記憶している。

時は流れ・・
数年前の福岡西方沖地震は、工房で体験した。
幸い、ここ北九州の震度は4程度で、大きな被害は無かった。

でも、その時はちょうど横切り盤を使っていたときで、700キロの横切り盤と、500キロの自動がんながぐらぐらしたときは生きた心地がしなかった。

その後、災害の備えは必要だと思いながらもまだやってない(反省)
でも、先日のこと・・・
戸棚の奥を見ていたら、なんと、リッツを発見。
ナビスコのリッツ、大好物だ♪

早速食べようとしていたら、カミさんが「ダメッ」と叫ぶ。
?????

「それ、非常食」

カミさんは、一応考えているようだ。

でも、先日ブレーカーが落ちて真っ暗になったとき・・
懐中電灯を出して、と言ったら、電池が無い、と言われた。

?????

備えあれば憂いなし。
皆さんもご注意アレ。

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2009年1月16日 (金)

どいつもこいつも

髭剃りがおかしい。
買って5年ほどの電動シェーバー、どうも最近勢いがない。

電池と電源の併用式。
電源を入れた瞬間は元気だが、そのうちパワーが落ちてくる。
なんじゃ、こりゃ。

パワーの落ちた髭剃りは始末が悪い。
髭に食いついて痛いのだ。

困ったもんじゃワイ。

ちなみに、網刃も一部が欠損している。
この欠損部分が皮膚に当たると・・・

アチチチチ・・という感じ。

困ったもんじゃワイ。


買い換えるか?
いや、とりあえず網刃を交換してだましだまし使うか。

これが毎朝の悩みの種(くだらんね~)


ついでに、テレビも色がおかしい。
さらに、エアコンも音が大きくなった。
洗濯機は不調続き。
食洗機は、時々変。


全く、どいつもこいつも。

電動機械に悩まされる日々。
まあ、工房の木工機械がまともなのが救いの種。


さて、どうしますかね?
まあ、ボチボチ考えて行きましょう。

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2009年1月15日 (木)

反貧困13(最終話)

湯浅氏は、派遣問題を含めた貧困問題について、これを解決するのは政治の責務であると言います。
派遣切りで宿舎を追われ、ネットカフェと路上の往復をしたり、すでに路上に出てしまった人にとっては、この寒風の中で生存そのものが脅かされる事態になっているかもしれません。

これは、明らかに憲法25条の生存権にかかわる問題で、これを知りつつ放置するのは、政治の無作為は憲法違反ともなるでしょう。

政治を動かすためには、貧困にかかわるさまざまな人や団体が連携をし、これを社会に訴えかけていくことが必要だと湯浅氏は言います。
そして、市民が政治の怠慢を厳しく追求する、強い社会を目指そうと説いています。

一つ一つは小さなことかもしれませんが、しかし、その小さな積み重ねがやがて大きな成果を引き寄せることになります。

そして、その一つの活動として昨年4月に「反貧困」を出版したのです。
この本は大きな話題となり、昨年の大佛次郎論壇賞を受賞しました。

その後、米国発金融破綻を緒にした実体経済への波及は、多数の派遣切りを生むこととなり、大変皮肉なことには、このために貧困問題が我々の目の前に形を持って現れ、世間の関心を引くこととなったのです。
そして、ついに政治はこれを無視することが出来なくなり、ようやく重い腰を上げ始めているようです。

この点で、湯浅氏の派遣村の活動は政治活動そのものとも言えます。
まずは貧困問題を社会に認知させ、解決のスタートラインにつかせるのには成功したと言えるでしょう。

しかし、本当の正念場は今からです。

新聞、テレビなどのマスコミでも、そしてネット内でも貧困問題や、派遣村のありように対してさまざまな意見が乱れ飛んでいます。
やはり自己責任論は根強く、それが感情的に増幅された先の誹謗、中傷なども少なくありません。

また、ある程度予想されていたことですが、一部の言論人(?)の中には、派遣村などの貧困問題を扱う団体を新手のイデオロギー集団として思想的な色眼鏡をもって見る人も出てきました。
アカデミズムに近いところにいる人には、どうしても理論的な分類と、レッテル付けが不可欠なのかもしれませんが、不自由なことだなと思ったりします。

私は、もっと簡単に考えています。
私達が子供だったころ、親や、先生から、困った人がいたら助けてあげなさい、と教わりました。
自分の命を大切にし、そして人の命も大切にしろ・・と。

懐古趣味はあまり好きではありませんが、やはり昔の日本は、と言いたい気分です。
そう、昔の日本には互助の精神が息づいていたように思います。
また、もうちょっと高尚な精神である惻隠の心なども。

成功か、失敗か、そのような白黒をはっきりさせる二元論も強くなく、諸問題には白と黒の間にある様々な段階を考え、その中で穏やかに解決していたように思うのです。

それが、和の精神を尊ぶ日本人固有の精神ではなかったのでしょうか。

今、もう一度これらのことを改めて考えてみたいと思っています。
あの遠い日、親父から、お袋から教わった事々を思い出してみたいと思っています。
そして、自分の子供たちに助け合いの精神を大事に伝えて行きたいと思っています。

もちろん、これが即貧困問題を解決することにはならないでしょう。
しかし、大きな成果を引き寄せるのは、小さな一つ一つの事々です。
我々が今すぐできる唯一のことは、この問題を決して忘れず、考え続けることで、それを投票へ生かすことだと思います。

それを確信し、それを希望をつないで、この反貧困シリーズをひとまず終えたいと思います。
図らずも長くなってしまいました(スミマセン)

年頭に際し、何かを考えるきっかけになったのであれば幸いです。


<参考としたもの>
 「反貧困」  湯浅誠  (岩波新書)
 「生きづらさについて」  雨宮処凛  萱野稔人  (光文社新書)
 自立支援サポートセンター もやい  →web
 反貧困ネットワーク  →web


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2009年1月13日 (火)

反貧困12

「反貧困」に話を戻します。

貧困にいたる背景には「5重の排除」がある、と湯浅氏はその著書で述べています。

・教育課程からの排除
家庭の経済的問題などで十分な教育を受けられないこと。

・企業福祉からの排除
雇用されないこと。
また、雇用されていても非正規社員のように、雇用保険や社会保険などに加入されていないもので、失職後の立場がとても不安定になります。

・家族からの排除

・公的福祉からの排除
公的な最後のセーフティーネットとして生活保護がありますが、これがとても受けにくいという実態があるようです。
ここで詳しく述べることはしませんが、生活保護を打ち切られた中年男性が餓死したのは、私が住む北九州市です。
これが社会的な批判に晒され、今では状況が変っていることを新聞で読みましたが、その通りであることを望みます。

・自分自身からの排除
これが一番衝撃的なものでした。
上に述べたさまざまな排除を受け、それを自己責任として周囲から責められます。
すると、それが自分の中で内面化し、今ある全てが自分のせいと思い込むところまで精神的に追い詰められてしまうのです。

また、作家でやはり貧困問題に取り組んでいる雨宮処凛さんは、追い込まれた人たちの最後の矜持として、今の自分の境遇を社会のせいにしたくないという心理が働くといっています。
社会のせいにしてしまった瞬間に最後のプライドが剥ぎとられ、自分自身が保てなくなってしまうというのです。

全ての結果を自己責任として自ら引き受けることが、かろうじて自分を支える杖となる痛々しいような心理が見えます。

そして、この抑圧が続き、内面にマグマのように蓄積されていったとき、それが自ら死を選択することに向かったり、世間とはこんなものと何もかもをあきらめて生きることになったり、最悪の場合はそれが反社会的な行動への暴発を招くことになるのです。

秋葉原の悲劇は二度と繰り返してはなりません。


溜めの消失、そしてさまざまな排除によって形作られる内面の鬱屈が相互にマイナスの両輪となって貧困問題をこじらせることになっています。

派遣村が話題となってさまざまなメディアに取り上げられましたので、実際に派遣切りにあった人々へのインタビューを聞いた方も多いことでしょう。
それらは決して前向きな話でもなく、社会への提言などという格調高いものでもなかったように思いますが、その背後にはさまざまな排除によって追い込まれた精神状態があったのかもしれません。


つづく

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2009年1月12日 (月)

反貧困11

今日、ネットのニュースでいわゆるネットカフェ難民の生活実態を紹介していました。

その人は、登録型と呼ばれる派遣形態に属している人です。
前日の夜に、携帯電話によって翌日の仕事が指示されます。
翌日指定の場所へ行き、そこの担当者から指示をされた仕事を行います。

給料は日払い、日給で、その内から派遣会社のマージンが引かれた残りがその日の収入となります。
手持ちの所持金、貯金はほとんどありません。
親はいますが、どこに住んでいるのかも分からないと言っていました。

仕事がある日ばかりとは限りません。
仕事があった日はネットカフェに泊まることができますが、無い日は路上に出るしかありません。
もし携帯の料金を払えなくなれば、路上が常態化することになります。

各種ある派遣業態でも、この登録型の日払い制が最も条件が悪いものであることは彼にも良く分かっています。
しかし、月給製にしたくても、その場合は支払いまでひと月待たなくてはなりません。
彼には、ひと月の余裕どころか、数日分しか溜めがなく、このため月給製の労働を選ぶという選択肢は無いのです。

テレビのコメンテーターが、ハローワークに行けば仕事はいくらでもあるのに、と言っていましたが、金銭的な溜めの無さに加えて、彼には定住している住所がありません。
そして、ハローワークの募集要項に、住所不定でも雇用可能という条件など無いのです。

彼がどうしてこのような状況に陥ってしまったのか、それは紹介されていませんでした。

何か夢を持ち、それを実現するために自由のきくアルバイト的生活を選んだのか?
サラリーマンはいやという理由で、とりあえずフリーターの道を選択したのか?
親に反抗して、家出をしてきたのか?
家庭の金銭面、あるいは親との死別などで教育機会が奪われてしまった結果なのか?
リストラされてしまったのか?
病気、あるいは怪我などで会社を退社せざるを得なくなってしまったのか?

そこに至る原因として、確かに自己責任の要素が強いものも、そうでないものもあります。

しかし、この貧困問題の本質は、きっかけがどうであれ、一度社会のすべり台を滑り落ちてしまうと、そこから浮上することが極めて難しいということにあり、そしてこれが決してレアケースではなく、そのような事例が急速に増加しているということだと思います。

自己責任論を言うことは、この問題の本質を言うことにはあたらず、もちろんこの問題を解決するのになんら寄与しないことも明らかであるばかりか、それが問題の根っこをより深くしていることが指摘されています。

つづく


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2009年1月11日 (日)

反貧困10

かつて私の身近にいた人の例を三つ挙げてみました。
失業給付がなく無収入であり、健康保険証すら持っていないことに驚かれた方もいらっしゃることでしょうが、これらは特異な例ではなく、訓練校へ入校してくる20代若年層には良く見られるケースです。

これらは今から8年以上も前の例であり、このときにはまだ製造職への派遣は認可されていませんでした。
それでも、若年層にはこのようなフリーターと呼ばれる就労実態があり、彼らは各種の保険などの社会的セーフティーネットにかかることなく、自分の肉体と健康をただ唯一の武器として世の中を渡っていました。

話を戻します・・
A君、B君、C君のいずれも木工を生涯の仕事と考え、その技術習得を目指して意欲を持って訓練校へ入学してきました。
その結果として、A君は残念ながら望みをかなえることは出来ませんでした。
B君、C君は木工で独立するには至りませんでしたが、しかし木工関連での職を得て、第二の人生と言う新たなステップへ歩みだすことが出来ました。

では、A君と、B,C君の結果を分けたものはなんだったのでしょうか?

A君にはお金もなく、そして頼れる肉親もいませんでした。
それに対して、B君はお金はないのは同じですが、彼には日々の糧を与えてくれる両親が健在で、社会人の彼女からのサポートもありました。
また、C君には相続した資産がありました。

余裕が全くなかったA君に対し、人のサポートや当面の生活を支える資金を持っていたB,C君、その違いが彼らの明暗を分けることになったのです。

金銭的な余裕や人からの援助など、人を支える様々なものを総称して湯浅氏はこれらを「溜め」と呼んでいます。
以下、「反貧困」より抜粋します。

「溜め」とは、溜池の溜めである。 大きな溜池を持っている地域は、多少雨が少なくてもあわてることはない。 その水は田畑を潤し、作物を育てることができる。 逆に溜池が小さければ少々日照りが続くだけで田畑が干上がり、深刻なダメージを受ける。 このように「溜め」は、外界からの衝撃を吸収してくれるクッションの役割を果たすと共に、そこからエネルギーをくみ出す諸力の源泉となる。

A君には金銭的な溜めがなかったため、木工技術習得以前にまず食べていかなければなりませんでした。
そのために、アルバイトが急務となり、訓練校の途中退学を強いられることとなりました。
その後、独立を目指すも日々の生活を支えるのがぎりぎりの状態では木工に専念することは出来ません。

さらには、木工で独立すると言うことは小さいながらも紛れもない起業です。
初期投資、そして資金を回転させていくための「溜め」となる内部留保、これらがない事業は、たとえそれが個人事業であっても立ち行かなくなることは必然といえました。


B君には肉親や彼女という人間関係の「溜め」がありました。
この溜めが彼の一年間の訓練校生活を支え、卒業後に木工関連会社へ就職を果たす大きな足掛かりとなりました。


また、C君には当面の生活を支えることのできる金銭的な「溜め」がありました。
このため、田舎へ移住し、生活基盤を整え、地域団体の木工所へ就職するまでの2年間という時間を支えることが出来たのです。

溜めがあれば、それの許す範囲内で次のステップを探す時間的、あるいは精神的なゆとりが生まれ、また選択肢も広がります。
一方、溜めがなければそれらは急激にその範囲が縮小され、選択肢は限られたものとなってしまいます。
月給を待つことが出来ず、日給仕事まで追い込まれた状態では、そこから再度浮上することは容易ではありません。

このように、溜めが失われ、選択肢が奪われてしまった状態を湯浅氏は「貧困」と名づけています。


つづく


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2009年1月 9日 (金)

反貧困9

B君の場合・・・

B君は、A君と同じくフリーターを繰り返し、そして訓練校へやってきました。
失業給付がなく、収入がないのも同じですが、B君は実家で両親と同居だったため、とりあえず日々の糧に困ることはありませんでした。

また、社会人の彼女がおり、休日のデートは彼女持ち・・だったかも?
「半分ヒモみたいなもんですよ・・」と、自嘲気味に笑っていました。

木工の筋はよく、いつも綺麗な鉋屑を出していました。

卒業後は彼女と結婚し、やがて奥さんの実家のある町へと引っ越していきました。
そして、奥さんのご両親の口利きにより、その町の木工関連会社へ無事就職を果たしました。

年賀状を兼ねた結婚報告のはがきには、二人の披露宴の姿が写っていました。
「養子に行ったも同然ですよ・・」と、一行書き添えられていましたが、写真の彼は自嘲ではなく本当に幸せそうに笑っていました。


C君の場合・・

C君はフリーターではありませんでしたが、転職を繰り返して日本全国を転々とした後、木工を終の仕事と見定めて訓練校へやってきました。

やはり失業給付はなく無収入でしたが、幸いなことに、彼には相続した資産がありました。
これを少しずつ取り崩すことで糊口をしのいでいました。

それでも限られた資産をできるだけ温存するため、早く次の生活基盤を確立する必要に迫られた彼は卒業を待たずに訓練校から去っていきました。

その後紆余曲折がありましたが、やがて田舎の空き家を年間二万円というただ同然の家賃で借り受け、ここに妻子と共に移り住みました。
小さいながらも古い納屋がついており、ここが工房になりました。

そして、田畑を借り、半農半工の自給自足的な生活を始めたのです。

しかし、自給自足といっても妻子がある身ですので、全く無収入と言うわけにはいきません。
「月に7万円あればやっていけるよ」と、にこやかに言っていましたが、不十分な設備と不十分な時間で作る木工品では、月7万を稼ぎ出すことは大変難しいのが現実です。

やがて資産も減っていき、いつもにこやかな彼の顔も次第に厳しさが増してくるようになりました。

このままだとジリ貧というとき、地元の団体との縁ができました。
木工を通じて地域振興をしようとしている団体で、ちょうど木工の指導員を探していたのです。
話はとんとん拍子に決まり、その団体へ就職した彼は、半農半工ではなく、今では団体の保有する木工所の所長として忙しい日々を送っています。


つづく

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2009年1月 8日 (木)

反貧困8

私の周囲に起こった実例を述べます。
ただ、関係者に迷惑がかからぬように、事実の本質を外さない程度にストーリーを改変しています。
史実と歴史小説との関係のようなものとご理解ください。


A君の場合・・
A君は今までに定職についたことがなく、アルバイトを繰り返す、いわゆるフリーターでした。
やりたいことが見つからないという、今ではごく平均的な若者だったともいえます。

あるときひょんなことから木工に触れ、これが自分が一生をかけるべき仕事と見定め、訓練校へやってきました。
ついにやりたいことが見つかったのです。

しかし、フリーターであったため雇用保険への加入はなく、失業給付はされません。
国民健康保険にも加入してなく、国民年金は払ったことがありません。
なので、訓練校にいる間は全くの無収入で、無保険の状態です。

いわゆる公的なセーフティーネットからは完全に抜け落ちており、収入はなく、怪我も病気も出来ず、綱渡りをしているような剥き身の状態であったといえます。

ただ、住む所はありました。
実家に一人で住んでいると言っており、両親や兄弟との関係がどのようになっているのかについては聞きませんでしたし、本人も笑って話そうとはしませんでした。
いずれにしろ、肉親とは疎遠であったようです。

若干の蓄えはあったようですが、すぐに経済的に逼迫するようになりました。
彼は、木工の修行に励む前に、何よりも食べていかねばなりませんでした。

土日と、平日の夜にガソリンスタンドやコンビニでアルバイトを始めました。

そのうち、家の近所にある木工家と親しくなり、そこで木工を教えてもらうようになったようです。
それで、卒業を待たずに訓練校を辞めていきました。
彼は刃物の研ぎなどの基本的な手業についてはきわめて優秀で、もったいないからと引きとめたのですが、彼にとっては何よりも訓練校までのガソリン代がもったいなかったのです。

その後のこと、木工での独立の夢が絶ち難く小さな納屋を見つけて改造し、友人の木工家から譲ってもらった機械を導入し、開業を果たしました。
ただ、開業と言っても素人のDIYにも満たない脆弱な状態でした。

蓄えがないので十分な材木を買うことが出来ず、機械を整備することも叶わず、そしてやはりまず食べていかねばならないことはなんら変わりがありません。

昼間にアルバイトをして、夜に製作をする日々でした。
しかし、職業木工は製作だけでは成り立たず、それを売るためのルート作りをしなければなりません。
ところが、彼は日中アルバイトに行かなければなりませんので、営業が出来ないのです。

営業しなければ家具が売れず、家具が売れなければ収入がなく、収入がなければ材木を買うことも機械の整備も出来ないという悪循環が彼を襲います。
アルバイト料はわずかで、日々の生活を支えるのにぎりぎりでした。

このような八方塞ともいえる環境の中で、彼の木工への夢は潰えていくこととなってしまいました。


つづく

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2009年1月 7日 (水)

反貧困7

「反貧困」には様々な統計データが示されていますが、最も根本的なものをご紹介します。
法の段階的な改定に伴って、1990年代半ばより派遣社員など非正規雇用の比率が増大してきました。
そして、それに比例して企業の業績や利益も右肩上がりとなっています。

つい最近まで、いろいろな企業が過去最大の収益を上げたなどという記事が良く新聞紙上をにぎわしていたことは記憶に新しいですね。

しかし、その莫大な利益を労働者に還元する再分配率は下がり続けています。
実際に、好景気と言われつつもその実感がわかない方も多いことと思います。

非正規雇用の増大に比例して企業は利益を向上させる。
再分配率は下がる。
つまり、労働コストの低い非正規雇用を増やすことで、企業は利益を拡大してきたことが良く分かります。

非正規雇用の比率は上がり続け、今では40%に達すると言われています。
こうなると、非正規雇用や派遣労働の諸問題について、これは明らかに労働環境や雇用構造の変化によるものであり、単なる自己責任のみによって説明されるものではないことは明白です。

非正規雇用比率が40%ほどにもなれば、どれほど望んでも正規社員になれない人が多数発生するのは必然のことであり、これを本人の努力が足りないからなどという精神論のみで片付けるのは無理がありますし、また、それを言い続けても何の解決にもならないでしょう。


もう一つ、自己責任論には機会の均等が前提となっています。
つまりは、誰しもそのスタートにおいては平等であり、機会は全ての人に等しく開かれているという前提です。
機会は誰にも平等にあるのだから、その機会を生かすも殺すも自分しだいで、結果は全てあなたの責任ではないかという論法です。

しかし、例えば親の死やリストラなどで家計が経済的困窮にある場合、その子供には十分な教育機会が与えられません。
実際に、家計を助けるために進学をあきらめざるをえなくなった例が多数報告されていますし、その率も増大しているようです。
彼らはすでにスタートにおいて教育の機会を平等には与えられていないのです。
十分な教育を受けられなかった師弟に対して、努力が足りない、とか、頑張れば何とかなる、とか、そのような紙つぶてを投げつけるのはあまりにも酷な話です。

以前、これらはレアケースとして片付けられていたものかもしれませんが、その率が増えてきている以上、これは個別事例として扱われるものではなく、やはり社会的な問題として取り組まなければならない重要度を持っている問題であると思います。

自己責任を唱える人には、そのイメージの中に非正規雇用とニートが重なっているのではないでしょうか。
実は、私も以前は漠然とそのように考えていました。
非正規雇用は労働意欲や向上心の希薄な人が多く、それであるがゆえその立場にいざるを得ない人々ではないのかと・・・

しかし、NHKのワーキングプアや、湯浅氏の「反貧困」に描かれている実態はそうではなく、むしろ勤労意欲があり、自己責任の強い人ほど貧困という奈落に落ちやすい現実が克明に記されています。

意欲のある人が、勤勉な人が報われない。
このような社会はやはりどこか歪であり、だからこそ社会的な問題として取り組まなければいけないように思います。


つづく


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2009年1月 6日 (火)

反貧困6

ワーキングプアとは、働いても豊かになれず、経済的に困窮した状態からいつまでも抜け出せない状態のことで、NHKスペシャルを見てはじめてこの言葉を知りました。

何度かに分けて放映され、再放送もありましたのでご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
番組ではワーキングプアに陥った人々の様々な例が紹介されていたのですが、いずれの例も自分に置き換えて考えてみたときに、果たして努力や才覚でこの状態を改善することができるのか、それは限りなく不可能に近いような気がするものばかりでした。

一方、湯浅誠氏は自立支援サポートセンター「もやい」の代表で、反貧困ネットワークの事務局長でもある人です。
昨年からの年越しに際して、派遣切りにあった人などを対象として炊き出しなどの援助を行う「派遣村」を主宰し、この間マスコミにも多く登場しましたので、ご存知の方も多いことと思います。

氏は、アカデミズムの人ではありません。
1995年から貧困と向き合い、実際にワーキングプアに陥った人々に手を差し伸べ、その生活改善の手助けを続けており、10年以上貧困に向かい、貧困の現場に立ち続けている人です。

ともすると、このような活動はイデオロギー的な色彩を帯び、理念が先行するばかりで情緒的で説得力を欠くものになりがちですが、氏の著書「反貧困」を読む限りは、そのような空気を感じることはありません。

労働に関する様々な統計データが示され、その意味を読み解いていく過程において日本における貧困の実態と、その構造的問題があぶりだされて行きます。
このように、現状を把握し、分析し、問題点を明らかにする手法は学者や評論家などによっても頻繁に用いられるものではありますが、氏が彼らと決定的に異なる点は実際の貧困の現場をつぶさに眺めてきたことによる生の声の膨大な蓄積です。

ワーキングプアに陥った人に数限りなく接してきた眼から発せられる現場の実態を踏まえた分析は、その統計データに肉付きを与え、色をつけ、圧倒的な迫真力と説得力をもって迫ってきます。

以下は、この書「反貧困」からの抜粋のようになりますが、これに私が見てきた例も絡めつつ続けてみたいと思います。


・・・
思いがけず長くなってしまいました。
木工ネタをお待ちの皆様、スミマセン・・・
ちなみに、ワタクシは5日より業務再開し、フルスピードで製作中であります。


つづく


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2009年1月 5日 (月)

反貧困5

リーマンブラザーズの破綻後はもう語るまでもありません。
金融経済と実体経済は、どちらが虚像でどちらが実像かなどと思っている暇もなく、それらは相互に連鎖しながら負のスパイラルを駆け下りるように世界中に広がっていきました。

暴風雨のようなスピードと勢いで、あらゆるものをなぎ倒したような感もあります。
そして、その帰結として派遣切りが行われることとなりました。

派遣が人のjust in timeである以上、人が必要とされなくなったときは派遣を停止することは効率重視の立場からは必然的なことです。
メーカーの原価内訳で最も比率が高いのは人件費ですので、そこを削減するのが最も効率的というわけですね。

派遣切りは昨年末頃から始まり、次々とその範囲を拡大しています。
今年3月までに8万5千人が失職するとも言われているようで、大変な事態です。

しかし、ここで疑問を持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
派遣切りとなったとしても、どうしてすぐに路上生活者となるような事態になってしまうのか?
貯金は? 雇用保険は? または、親や親戚、友人を頼ることは出来ないのか?

と言う疑問です。


そして、このような報道がされるときに必ず出てくる一つのキーワードがあります。
「自己責任」という言葉です。

そもそも、派遣を選んだ時点でいつ首を切られるか分からない状態にあるのは分かっていたはずではないのか?
それを承知で派遣社員となったのだから、それは自己責任ではないのか?

と言う主張です。


私も、以前はぼんやりとそのようなことを考えていたことがありました。
そして、そのような時にめぐり合ったのが一つのドキュメンタリーと、一冊の本でした。

ドキュメンタリーは、NHKスペシャル 「ワーキングプアー」
本は、著者 湯浅誠 「反貧困」 (岩波新書)

私の知らない派遣や貧困の実態が描かれていました。


つづく

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2009年1月 4日 (日)

反貧困4

訓練校の木工家出身者では、私のように独立したものもいますが、その多くは既存の木工所や建具屋さんへ就職することとなります。
木工業界が慢性的な不況にあるのはご他聞に漏れないところなのですが、それでもまだかろうじて求人はあり、訓練生の中でも優秀であれば乞われて就職することができました。

ただ、木工所は薄給です。
法が定める、最低賃金すれすれがその実態で、友人から聞いた話では夫婦と子供二人を養っていくのに給料だけでは到底足りず、夜間にコンビニのアルバイトをしていたという事でした。

憲法25条が定める生存権、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、という文言すれすれの生活実態がそこにあります。
しかし、それでも生活はかろうじて成り立っており、そして正社員でもあるのです。

このように、正社員の下限とも言える生活実態が、木工業界を通して見えてきます。
そして、これを補助線として派遣業務を見てみると、果たしてそれはどのような世界であるのか、そんな疑問が自然とわいてきます。


モバイト・ドット・コムの宣伝で、働きたいときに携帯でバイト先を探し、小金を稼いで旅行に行ったり彼女にプレゼントをすると言う風景が描かれていました。
しかし、これらは明らかに学生のアルバイトと同質のことで、これが政府の言う労働形態の自由化と選択肢の拡大であるならば、これはとんでもないことだという底知れぬ恐ろしさが、あのCMを見るたびに感じられました。

携帯を操作しながらその日の職を探し、それを生業とし、さらにはそれで妻子を養うという方法論は、学生ならばいざ知らず、少しでも社会を垣間見たリアリズムを持った眼には無謀な暴論に近く、それは正社員としてぎりぎりの生活を余儀なくされている見習いの木工正社員にも遠く及ばない、すれすれの低空飛行であるに違いないのは容易に想像できます。

トヨタが、キャノンが、空前の利益を上げる背後で、どのような労働形態がシステム化されていったのか?
それを思ったこともありましたが、すでに会社を去り、木工で独立していた私には身近に派遣社員の息吹を感じる事もなく、所詮は遠い世界のことになって関心もいつか薄れていきました。


そして、あの引き金が引かれました。
そう、リーマンブラザーズの倒産です。


つづく

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2009年1月 3日 (土)

反貧困3

今思えば、まだ牧歌的な時代でしたが、しかし、その頃に派遣業務の危うさについて、すでに萌芽が生まれていたのかもしれません。
しかし、当時その危うさを指摘するような論調はなく、経済も弱いながらも持ち直しており、その危険性が表面化することはなかったのでしょう。 

ただ、まだ良かったことは、当時、派遣は専門的な13の職種に限定されていました。
そのため、絶対数も少なく、そして専門知識を身につけているために雇用が途切れることは稀だったのでしょう。

そして、私の友人のように、派遣社員から正社員へ転職を成功させた者もいました。
その理由を聞くと、やはり派遣社員と言う不安定な立場に不安を抱いてのことだったようです。
慧眼だったと言ってよいかもしれませんね。


その後、紆余曲折を経て専門職限定だった派遣の範囲が拡大され、ついに製造業務への派遣が可能となりました。
製造業務への派遣は、国際競争力を高めるためという経済界からの要望(圧力?)によって派遣法が改正され、実現しました。

世界に冠たるトヨタの生産方式に just in time と呼ばれる方法があります。
必要な物を、必要な時にという発想で、在庫を極力減らして無駄を防ぐと言う考え方です。

製造業への派遣とは、まさに人材と労働の just in time です。
つまりは、人も労働も、必要な物を必要な時に用いると言う方式で、ここに至って人と労働の市場化は法的根拠を与えられ、完成したといえます。

効率化が極限まで推し進められると、人までもが物と同じ次元に置かれ、生殺与奪の権限は企業が握ることになるのですね。

さすがにここに至ってその危険性を指摘する声が上がってきましたが、政府と経済界の言い分としては、企業の国際競争力向上が第一であると言うこと、そして企業が発展することによって雇用が安定し、経済を浮揚させることになるということ。
また、派遣の範囲拡大によって、人の働き方のバリエーションが増え、自由な労働の選択範囲が広がるとの大義名分が示されました。

一定の説得力がありましたし、事実その通りでもありました。
確かに、派遣法の改正以後、企業は業績と利益を向上させましたし、若年層は携帯のアルバイト情報を見ながら必要な時に必要なだけ働くという選択肢が生まれました。

グッドウィルのモバイト・ドット・コムががんがん宣伝されていたのはつい最近のことでしたね。

この頃、私はすでに会社を辞めて木工で独立していましたが、妙な時代が来たもんだと思いました。
それは、私が足を踏み入れた木工業界の内部事情を通して見えてきたことでした。


つづく


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2009年1月 2日 (金)

反貧困2

やってきた派遣社員は3人で、20代後半から30代前半、今風に言えばアラサーの人たちでした。
設計の専門職ですので即戦力です。
同じ世代と言うこともあってすぐに打ち解け、社員と変らない業務をこなしてもらいました。

当初は作業服が別でしたが、そのうちそれも同じになり、傍目には誰が社員で誰が派遣なのか? 全く分からないほど同化していきました。

即戦力であり、また立場上彼らは一歩引いたところで業務を請け負ってくれますので、意思決定はスムーズで業務効率は飛躍的に上がりました。
忘年会や春の花見も一緒に楽しみ、社員と派遣の境界線はなくなっていきました。

こうして、徐々に派遣社員が増えてくることとなったのです。
事務所に正社員と派遣社員が同居している姿が日常となり、誰もそれに違和感を感じなくなりました。


そんなある時、飲み会の席で酔っ払った戯れに彼らにあることを尋ねてみたことがあります。

「若いときはいいけれど、あと10年経ったらどうするつもり?」

開発・設計業務は激務ですので、気力体力共に充実している30代前半くらいまでしか第一線でこなすことはできません。
スポーツ選手のようなものです。
そして、加齢とともにいずれ現場のスピードについていけなくなる時が来ます。

正社員であれば、マネジメント能力を高めて管理職へとステップアップするか、専門職として第一線の技術者達を束ね、導く立場へ行く道が開けていますが、派遣社員は契約解除となるのは必然でした。

「う~ん、どうしますかね?」

とは、彼らの答えで、具体的なビジョンは見えずとも、将来への不安はまだ漠然としていたようでした。


しかし、ほどなくその予想が現実となることとなったのです。
派遣社員が増え、常態化してくると、当然その中で取捨選択や異動などが生じることとなります。
若い人は残り、年配の人は去る、そして、有能な人は残り、そうでない人は契約解除となる、ということが頻繁に行われるようになっていきました。

そうです、その時には労働の市場原理化が、その縮図が出来上がっていました。

人材も、労働も、能力も、全ては費用対効果によって、そして効率によって決まるという、ある意味非常に単純明快な図式が出来上がり、そして、それは企業活動にとっての悲願とも言える生産効率アップへの最短の道筋となっていったのです。

契約解除となった人の中には次の派遣先が見つからず、自宅や事務所待機になっていると言う話も伝え聞くようになり、他人事ながら彼らの将来を案じたものですが、それらが重なってくるとやがてそのような感覚も鈍磨し、やがて意識から外れるようになってしまいました。

人材と労働の市場化、それに私自身も全く違和感を感じなくなっていました。

つづく


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2009年1月 1日 (木)

反貧困

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

いつも適当なことを放言しているこのブログ、年頭に際して多少はまともなことを書いてみようかと、お屠蘇気分で思ってます。

例年は今年の抱負を語るのが常でしたが、世の中はそのような多少甘い香りのする事々を書き散らすほど余裕のある気分でもなく、年の瀬から新年にかけて重苦しい気分が漂っています。

本来、このブログでは政治的なこと、宗教的なこと、イデオロギーに関すること・・また、社会的なことなどはタブーとすることを旨としてきました。

私自身、ブログは単なる日記の延長であり、それ以上でもそれ以下でもないと思っています。

対して、ブログを個人が発する言論の舞台と捕らえている人も少なくありませんが、そのようなアルファブロガーを気取る人は別として、私の率直な思いとしては、社会、政治、世界情勢などについては、それらを実際に捕らえることのできる立場にあり、もしくは、捕らえるべく命をかけて行動をしており、そしてそれを生業としている人々の覚悟の前には、個人が発するものなどは、所詮は酒場談義の戯言で、ましてや言論などでは決してない、ということを重々自覚しています。

しかし、年頭に当たり、それを十分自覚しつつもあえてそのタブーを破り、多少なりとも何かを言ってみたいと言う衝動に駆られています。

この単なる木工ブログでも、ありがたいことに1日あたり300~500件程度のアクセスをいただいています。
ほんの爪先で引っかいた程度の影響力しか持ち得ないことを承知しつつも、これを読んでいらっしゃる方々にとって、なにかしら問題を考えるきっかけにでもなってくれれば良いなと思っています。


この動機の発端は、昨年末から急増した派遣切りの嵐です。

私も以前は会社員でした。
東証一部上場の、いわゆる大企業に勤めていました。
入社はバブル真っ只中の日本中が浮かれきっていた時代で、新入社員にもかかわらず高額のボーナスを貰っていました。

全く馬鹿げたことで、異常な時代だったと思います。

その後、バブル崩壊後の日本はご承知の通りです。
ボーナスは下がり続け、入社の頃に夢描いていた未来は、それが単なる幻想に過ぎなかったことを早々に知ることとなりました。

私の会社員時代は、常にその重苦しい気分と共にありました。
そして、不況がもたらす閉塞感は、そのはけ口を旧来的な価値観を破壊する方向へ向けて暴発しました。


規制緩和とは、まだ耳に新しい言葉です。
小さな政府、そして新自由主義の嵐は、社会的な基盤まで市場原理に晒すという大博打を打ちました。

会社も例外ではありません。
実力主義、働きに応じて給与を分配するという、進歩的と呼ばれた雇用体系は、典型的な日本企業であった私の会社にも容赦なく浸透してきました。

つまりは、人材、労働の市場原理化が進行していくことになったのです。
その潮流の中で派遣社員が生まれてきました。

そして、わが社にも派遣社員がやってきました。


つづく

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