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2009年1月 7日 (水)

反貧困7

「反貧困」には様々な統計データが示されていますが、最も根本的なものをご紹介します。
法の段階的な改定に伴って、1990年代半ばより派遣社員など非正規雇用の比率が増大してきました。
そして、それに比例して企業の業績や利益も右肩上がりとなっています。

つい最近まで、いろいろな企業が過去最大の収益を上げたなどという記事が良く新聞紙上をにぎわしていたことは記憶に新しいですね。

しかし、その莫大な利益を労働者に還元する再分配率は下がり続けています。
実際に、好景気と言われつつもその実感がわかない方も多いことと思います。

非正規雇用の増大に比例して企業は利益を向上させる。
再分配率は下がる。
つまり、労働コストの低い非正規雇用を増やすことで、企業は利益を拡大してきたことが良く分かります。

非正規雇用の比率は上がり続け、今では40%に達すると言われています。
こうなると、非正規雇用や派遣労働の諸問題について、これは明らかに労働環境や雇用構造の変化によるものであり、単なる自己責任のみによって説明されるものではないことは明白です。

非正規雇用比率が40%ほどにもなれば、どれほど望んでも正規社員になれない人が多数発生するのは必然のことであり、これを本人の努力が足りないからなどという精神論のみで片付けるのは無理がありますし、また、それを言い続けても何の解決にもならないでしょう。


もう一つ、自己責任論には機会の均等が前提となっています。
つまりは、誰しもそのスタートにおいては平等であり、機会は全ての人に等しく開かれているという前提です。
機会は誰にも平等にあるのだから、その機会を生かすも殺すも自分しだいで、結果は全てあなたの責任ではないかという論法です。

しかし、例えば親の死やリストラなどで家計が経済的困窮にある場合、その子供には十分な教育機会が与えられません。
実際に、家計を助けるために進学をあきらめざるをえなくなった例が多数報告されていますし、その率も増大しているようです。
彼らはすでにスタートにおいて教育の機会を平等には与えられていないのです。
十分な教育を受けられなかった師弟に対して、努力が足りない、とか、頑張れば何とかなる、とか、そのような紙つぶてを投げつけるのはあまりにも酷な話です。

以前、これらはレアケースとして片付けられていたものかもしれませんが、その率が増えてきている以上、これは個別事例として扱われるものではなく、やはり社会的な問題として取り組まなければならない重要度を持っている問題であると思います。

自己責任を唱える人には、そのイメージの中に非正規雇用とニートが重なっているのではないでしょうか。
実は、私も以前は漠然とそのように考えていました。
非正規雇用は労働意欲や向上心の希薄な人が多く、それであるがゆえその立場にいざるを得ない人々ではないのかと・・・

しかし、NHKのワーキングプアや、湯浅氏の「反貧困」に描かれている実態はそうではなく、むしろ勤労意欲があり、自己責任の強い人ほど貧困という奈落に落ちやすい現実が克明に記されています。

意欲のある人が、勤勉な人が報われない。
このような社会はやはりどこか歪であり、だからこそ社会的な問題として取り組まなければいけないように思います。


つづく


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言いたいことなど」カテゴリの記事

コメント

自己責任という言葉
私にはどうも胡散臭く感じてしまいます。
機会の不平等においてもそうですが、
自己の行動において責任が伴うのは当然のことなのに、さらにしつこく「責任」と言うのは何なのかと。これは「腰が腰痛」「腹が空腹」と言ってるのと変わらないのではないかと。
それまでの日本がそんなに「連帯責任」に偏りすぎてたのだろうか、と。

市場主義に舵を切った小泉内閣、痛みを伴う構造改革、それを支持した若者が今度は派遣切りで不満をぶつける。なんかおかしくないですか?

投稿: パートシュクレ | 2009年1月 7日 (水) 23:59

自己責任という言葉が良く使われるようになったのは、イラクで日本人3人が拉致された時からだったでしょうか?

行動に責任が伴うのは当然のことなので、確かに自己責任論には一定の説得力がありますが、しかし事象の全てを自己責任として切り捨てるのは少々乱暴のように思ったりします。

健全な社会とは、どこまでが自己責任で、どこからが社会的な責任になるのか、その線引きがきちんとできる社会のことだと思うのですが、この判断がなされなく、白黒極端に振れてしまうのが問題ですね。

労働の市場化、派遣法の改正(改悪?)については、共産党を除くすべての政党が賛成したように記憶しています。

当時、5パーセントを越える失業率が深刻な社会問題となっており、失業者の雇用拡大を目的として派遣法が改正されました。

確かに、それによって職を得やすくなったのですが、それが今の雇用切捨て問題を招くことになったわけで、なかなか難しいことです。

当時、それ以外の判断が出来なかったのかと政治家を責めても仕方のないことですが、少なくともそれを反省の上、是非軌道修正をしてもらいたいものだと思います。

そのためにも、やはり派遣切りに対して叫びを上げていく活動は必要かもしれない・・と思ったりします。

蓄えのない人にとっては生き死ににかかわる問題ですので・・事態は深刻です。

投稿: 栗原@simple | 2009年1月 8日 (木) 13:19

>白黒極端に振れてしまうのが問題

ホントにその通りです
よくグローバリズムを賛美する方々は、日本ほど格差のない先進国はない、と言い、格差はあって当然、格差を乗り越えるバイタリティが国の活力になる、という論法で語りますが、国独自の文化やメンタリティ、伝統を考慮しないそのような考え方はあまりにも大雑把すぎて鵜呑みに出来ません。
日本は昔から外国の文化を取り入れるのが巧いと言われますが、それには多くの試行錯誤と長い歴史があってのことで、ここ最近言われ始めたグローバリズムなる価値観に対し、肯定か否定かの2元論で語られることが多いのもおかしな話です。

派遣や契約などという人の価値をお金にしか換算しない人の使い方、使われ方は変だ!という価値観はそう簡単には変わらないと思うのですが、なせこうも素早く法改正してしまったんでしょう。法改正しなかったらもっとひどい状況になってたんでしょうかね。

話の腰を折ってすみません、続けてください。

投稿: パートシュクレ | 2009年1月 8日 (木) 18:52

なぜ日本人は怒らないんでしょうね。ニュースみてもほかの国々やお隣韓国なんて、市庁舎前広場にあれだけ人が集まって抗議している姿を時々見かけて、なんかうらやましく思います。日本人もあれぐらいしないから政府になめられるのですね。

あと労働組合の組織率の減少。なぜ入らないの?たしかにろくでもない執行部のやつらもいるけど、しょせん人間一人じゃ弱い存在ですよね。レッドパージじゃないけど、なんか為政者の意図を感じるなあ。
でも考えてみたらみんな圧力団体みたいのをつくって政治家を自分たちのいいようにいっているじゃない?経団連・医師会・・・。日教組だっておなじようなもんでしょ?なんで日教組だけ叩かれる?

とにかく、人生のながれのなかで、そのときに制度や仕組みに問題だなあ~って思ったことは、国民はそれぞれ先送りしないで、みんなで怒って解決してこなかったツケが回ってきたのだと思います。長時間労働、少子化・・・。みんなそのとき困ってんでしょ?子育て終わったからほったらかし?そしたら自分の子どもが子育て世代になってまた困っている。こっけいなものです。

投稿: さとたろう@下関 | 2009年1月 8日 (木) 20:45

パートシュクレさん
問題提起、ありがとうございます。

グローバリズムもかなり胡散臭い言葉ですね。
そのそも、グローバリズムやグローバルスタンダードなんて言葉は、アメリカが世界の市場を支配するためのロジックを尤もらしいオブラートで包んだ詭弁だと思います。

しかし、それらはドルが世界の基軸通貨として揺るがないことが前提であり、また、それを可能とするための様々な実力を兼ね備えていることとセットではじめて成立するものです。

ここに来て、アメリカ経済が瀕死の状態となり、ソマリア沖には海賊が好き勝手に振舞うようなことになってしまうと、グローバルなんて屁のツッパリにもならないものですね。

日本は、一昔前は総中流と呼ばれていました。
その時はなんとなく平坦でつまらないような気がしていましたが、今思い返すと古きよき時代でしたね(遠い眼)

それを基準に考えると、今は確かに大きな格差社会であることは間違いありません。
問題は、他国と比べて格差が小さいということではなく、その当時の日本と比べて格差が拡大しつつあるという現実が大きな問題だと思います。


派遣法の改正については、当時の判断はある程度やむをえないところがあったのかもしれません。
その時に、危険性についても言及されていたように思いますが、何よりも目先の失業者を救い上げる方が急務だったのでしょうね。

改正していなかったら??
う~む、さらに失業率が上がり、それはそれで大問題だったかも?

難しいな~


投稿: 栗原@simple | 2009年1月 8日 (木) 23:23

さとたろうさん
これまた、問題提起ありがとうございます。

そうですね、なぜ日本人は怒らないのでしょうか?
どこかの社会学者あたりが分析してくれないかな~


ただ、この貧困問題については、日本中に蔓延している「自己責任論」が足かせになっているように思います。

彼ら「派遣村」に集まった人たちは、あらゆるセーフティーネットから阻害され、肉親や友人からも阻害され、他者から自己責任と言われ続け白眼視される中で、ついには自分自身を否定することで世間と折り合いをつけようとしている人たちです(詳しくは後日述べます)

彼らがデモ行進をしても(実際に行ったようですが)拉致問題とは異なり一般の人々賛同や共感を買うことはなく、異端として切り捨てられるでしょう。

彼らは、経営側からは切り捨てられ、労組からも相手にされず、全く何の庇護もないムキ身の常態に置かれています。

このような世間の無理解が、この問題の根を深くしているように思います。

そして、この問題を放置し続けると、それはじわじわと社会全体の活力を低下させていくことになると湯浅氏は警告しています。


ともあれ、社会を変えるのは我々です。
次の総選挙・・そこで大きな声を上げて行きましょう。

投稿: 栗原@simple | 2009年1月 8日 (木) 23:37

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