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2009年1月13日 (火)

反貧困12

「反貧困」に話を戻します。

貧困にいたる背景には「5重の排除」がある、と湯浅氏はその著書で述べています。

・教育課程からの排除
家庭の経済的問題などで十分な教育を受けられないこと。

・企業福祉からの排除
雇用されないこと。
また、雇用されていても非正規社員のように、雇用保険や社会保険などに加入されていないもので、失職後の立場がとても不安定になります。

・家族からの排除

・公的福祉からの排除
公的な最後のセーフティーネットとして生活保護がありますが、これがとても受けにくいという実態があるようです。
ここで詳しく述べることはしませんが、生活保護を打ち切られた中年男性が餓死したのは、私が住む北九州市です。
これが社会的な批判に晒され、今では状況が変っていることを新聞で読みましたが、その通りであることを望みます。

・自分自身からの排除
これが一番衝撃的なものでした。
上に述べたさまざまな排除を受け、それを自己責任として周囲から責められます。
すると、それが自分の中で内面化し、今ある全てが自分のせいと思い込むところまで精神的に追い詰められてしまうのです。

また、作家でやはり貧困問題に取り組んでいる雨宮処凛さんは、追い込まれた人たちの最後の矜持として、今の自分の境遇を社会のせいにしたくないという心理が働くといっています。
社会のせいにしてしまった瞬間に最後のプライドが剥ぎとられ、自分自身が保てなくなってしまうというのです。

全ての結果を自己責任として自ら引き受けることが、かろうじて自分を支える杖となる痛々しいような心理が見えます。

そして、この抑圧が続き、内面にマグマのように蓄積されていったとき、それが自ら死を選択することに向かったり、世間とはこんなものと何もかもをあきらめて生きることになったり、最悪の場合はそれが反社会的な行動への暴発を招くことになるのです。

秋葉原の悲劇は二度と繰り返してはなりません。


溜めの消失、そしてさまざまな排除によって形作られる内面の鬱屈が相互にマイナスの両輪となって貧困問題をこじらせることになっています。

派遣村が話題となってさまざまなメディアに取り上げられましたので、実際に派遣切りにあった人々へのインタビューを聞いた方も多いことでしょう。
それらは決して前向きな話でもなく、社会への提言などという格調高いものでもなかったように思いますが、その背後にはさまざまな排除によって追い込まれた精神状態があったのかもしれません。


つづく

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