« 反貧困10 | トップページ | 反貧困12 »

2009年1月12日 (月)

反貧困11

今日、ネットのニュースでいわゆるネットカフェ難民の生活実態を紹介していました。

その人は、登録型と呼ばれる派遣形態に属している人です。
前日の夜に、携帯電話によって翌日の仕事が指示されます。
翌日指定の場所へ行き、そこの担当者から指示をされた仕事を行います。

給料は日払い、日給で、その内から派遣会社のマージンが引かれた残りがその日の収入となります。
手持ちの所持金、貯金はほとんどありません。
親はいますが、どこに住んでいるのかも分からないと言っていました。

仕事がある日ばかりとは限りません。
仕事があった日はネットカフェに泊まることができますが、無い日は路上に出るしかありません。
もし携帯の料金を払えなくなれば、路上が常態化することになります。

各種ある派遣業態でも、この登録型の日払い制が最も条件が悪いものであることは彼にも良く分かっています。
しかし、月給製にしたくても、その場合は支払いまでひと月待たなくてはなりません。
彼には、ひと月の余裕どころか、数日分しか溜めがなく、このため月給製の労働を選ぶという選択肢は無いのです。

テレビのコメンテーターが、ハローワークに行けば仕事はいくらでもあるのに、と言っていましたが、金銭的な溜めの無さに加えて、彼には定住している住所がありません。
そして、ハローワークの募集要項に、住所不定でも雇用可能という条件など無いのです。

彼がどうしてこのような状況に陥ってしまったのか、それは紹介されていませんでした。

何か夢を持ち、それを実現するために自由のきくアルバイト的生活を選んだのか?
サラリーマンはいやという理由で、とりあえずフリーターの道を選択したのか?
親に反抗して、家出をしてきたのか?
家庭の金銭面、あるいは親との死別などで教育機会が奪われてしまった結果なのか?
リストラされてしまったのか?
病気、あるいは怪我などで会社を退社せざるを得なくなってしまったのか?

そこに至る原因として、確かに自己責任の要素が強いものも、そうでないものもあります。

しかし、この貧困問題の本質は、きっかけがどうであれ、一度社会のすべり台を滑り落ちてしまうと、そこから浮上することが極めて難しいということにあり、そしてこれが決してレアケースではなく、そのような事例が急速に増加しているということだと思います。

自己責任論を言うことは、この問題の本質を言うことにはあたらず、もちろんこの問題を解決するのになんら寄与しないことも明らかであるばかりか、それが問題の根っこをより深くしていることが指摘されています。

つづく


|

« 反貧困10 | トップページ | 反貧困12 »

言いたいことなど」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 反貧困10 | トップページ | 反貧困12 »