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2009年1月11日 (日)

反貧困10

かつて私の身近にいた人の例を三つ挙げてみました。
失業給付がなく無収入であり、健康保険証すら持っていないことに驚かれた方もいらっしゃることでしょうが、これらは特異な例ではなく、訓練校へ入校してくる20代若年層には良く見られるケースです。

これらは今から8年以上も前の例であり、このときにはまだ製造職への派遣は認可されていませんでした。
それでも、若年層にはこのようなフリーターと呼ばれる就労実態があり、彼らは各種の保険などの社会的セーフティーネットにかかることなく、自分の肉体と健康をただ唯一の武器として世の中を渡っていました。

話を戻します・・
A君、B君、C君のいずれも木工を生涯の仕事と考え、その技術習得を目指して意欲を持って訓練校へ入学してきました。
その結果として、A君は残念ながら望みをかなえることは出来ませんでした。
B君、C君は木工で独立するには至りませんでしたが、しかし木工関連での職を得て、第二の人生と言う新たなステップへ歩みだすことが出来ました。

では、A君と、B,C君の結果を分けたものはなんだったのでしょうか?

A君にはお金もなく、そして頼れる肉親もいませんでした。
それに対して、B君はお金はないのは同じですが、彼には日々の糧を与えてくれる両親が健在で、社会人の彼女からのサポートもありました。
また、C君には相続した資産がありました。

余裕が全くなかったA君に対し、人のサポートや当面の生活を支える資金を持っていたB,C君、その違いが彼らの明暗を分けることになったのです。

金銭的な余裕や人からの援助など、人を支える様々なものを総称して湯浅氏はこれらを「溜め」と呼んでいます。
以下、「反貧困」より抜粋します。

「溜め」とは、溜池の溜めである。 大きな溜池を持っている地域は、多少雨が少なくてもあわてることはない。 その水は田畑を潤し、作物を育てることができる。 逆に溜池が小さければ少々日照りが続くだけで田畑が干上がり、深刻なダメージを受ける。 このように「溜め」は、外界からの衝撃を吸収してくれるクッションの役割を果たすと共に、そこからエネルギーをくみ出す諸力の源泉となる。

A君には金銭的な溜めがなかったため、木工技術習得以前にまず食べていかなければなりませんでした。
そのために、アルバイトが急務となり、訓練校の途中退学を強いられることとなりました。
その後、独立を目指すも日々の生活を支えるのがぎりぎりの状態では木工に専念することは出来ません。

さらには、木工で独立すると言うことは小さいながらも紛れもない起業です。
初期投資、そして資金を回転させていくための「溜め」となる内部留保、これらがない事業は、たとえそれが個人事業であっても立ち行かなくなることは必然といえました。


B君には肉親や彼女という人間関係の「溜め」がありました。
この溜めが彼の一年間の訓練校生活を支え、卒業後に木工関連会社へ就職を果たす大きな足掛かりとなりました。


また、C君には当面の生活を支えることのできる金銭的な「溜め」がありました。
このため、田舎へ移住し、生活基盤を整え、地域団体の木工所へ就職するまでの2年間という時間を支えることが出来たのです。

溜めがあれば、それの許す範囲内で次のステップを探す時間的、あるいは精神的なゆとりが生まれ、また選択肢も広がります。
一方、溜めがなければそれらは急激にその範囲が縮小され、選択肢は限られたものとなってしまいます。
月給を待つことが出来ず、日給仕事まで追い込まれた状態では、そこから再度浮上することは容易ではありません。

このように、溜めが失われ、選択肢が奪われてしまった状態を湯浅氏は「貧困」と名づけています。


つづく


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コメント

反貧困シリーズおもしろく拝見させていただいております。今後木工で独立を考えている人間にとってちょっと怖いけど、現実的な話でほんとに為になります。いつもどうもありがとうございます。

投稿: ooyama | 2009年1月11日 (日) 23:02

おはようございます
反貧困、楽しく?読ませてもらっています。

「溜め」ってとっても解り言葉ですね。
金銭的な「溜め」だけではなく、人間関係の「溜め」、そして自分の精神的な「溜め」を大きくする努力が必要なのですね。
一方、日本のそして社会の「溜め」がどんどん小さくなっているのでしょう。

私は定時制高校の教員ですが、派遣切りのニュースを見る度、学校を卒業してゆく、あるいは辞めていった生徒達の行く末が心配でなりません。この不況の嵐が吹き荒れる中どうなるのか・・・不安と怒りを禁じえません。

反貧困つづきを楽しみにしています。

投稿: のほほん | 2009年1月12日 (月) 11:42

なるほど・・・。

まじめに働けばなんとかなる、清貧なんて言葉はいまの社会情勢ではうそっぱちもいいところなんですね。

Aさんは、1等の宝くじにあたるか、金持ちの女性と結婚するか救われないのかなあ~?

ホント、もうどうでもいいや、って感じで死にたくなる気持ちになっちゃうよなあ~

悲観しすぎなのかなあ~

投稿: さとたろう@下関 | 2009年1月12日 (月) 22:30

ooyamaさん
コメントありがとうございます。
独立をお考えの方にとって、何かの参考になればと思います。

先を恐れすぎてもいけませんが、やはりセーフティーネットや自身の「溜め」については確実に把握しておく慎重さがより求められる時代になっていると思います。

頑張ってください。

のほほんさん・・
確かに「溜め」とはその本質をよく表している言葉だと思います。

そして、溜めのない人が急激に増加しているのが今の日本の病理とも言える現象で、やはりこれは社会問題として国全体で取り組むべきことのように思います。

政治家のみならず、我々一人ひとりが貧困状態にある人々の背景を思いやり、関心を向けることで彼らの溜めを増やすことができるかもしれません。

そのような、思いやりの心が多い社会の方がきっと成熟した社会だと思います。
そんな社会にしていかねばなりませんね。

のほほんさんも、教師という立場上心を痛められているのですね。
卒業生がいつでも相談に来られるような学校、それも溜めかもしれません。

是非、生徒達の溜めとなっていただきますよう、お願いいたします。


さとたろうさん・・
今の日本は、スタートで躓くと永久に浮上することが出来ず、また、途中で足を踏み外すと、そのままそこまで一気に落ちてしまうすべり台社会になっているような気がします。

努力するものは報われる、という言葉は、だんだん神話化しつつあるようで、そのうち偽善の匂いが漂ってくることになるかもしれません。

私も、子供たちにどのように言葉を伝えていけばよいのか?
難しい時代になりました。

投稿: 栗原@simple | 2009年1月12日 (月) 22:56

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